最近、大ぶりのフリル襟の洋服が流行っているらしい。雑誌を開けば、一着はそういったブラウスが載っているし、洋服を買いに行くと目立つように、マネキンがそれを着せられている。モデルさんやスタイルのよいマネキンが着ているそれは、大層可愛かった。

小さいころ可愛いものが好きだった私は、いつ「可愛い」を捨てたのか

ウィンドウショッピングをしていたある日、例の服を着ているマネキンを見つけて店に入ると、綺麗な卵のようなショートカットの子と、その付き添いの子が奥のほうのレールにかかっているその服を手に取っていた。

その子たちは、その店においてあるような淡い色のふわふわとした服を着ている。付き添いの子にうながされ、ショートカットの子が試着室へ消えていった。きっとあの子はあの服を着て、鏡に映る自分に笑顔になるのだ。

私はその子たちがいなくなったレールの前で、伸ばしかけた手を引っ込めた。学校帰りでトレーナーにジーパン、さらにバイトで汚れて黒くなった白のスニーカーの姿が柱の鏡に見えて、自分がこの店でたった一つの異物のように感じた。

好きでよく読む雑誌は、淡いピンクやパープルを上手に組み合わせ、ゆるゆるとしたシルエットやパンツスタイルでさえ、可愛くコーディネートしている。読みながら、「こういうの着たいな」「これ買おう」と心には決めるものの、今まで“可愛い”を身に着けたことのない私にそれが似合うのか。もし、買って帰っても家族にからかわれやしないだろうかと、ぐるぐると考えてしまい、「結局自分には高すぎるな」と言い訳をして棚に戻してしまう。

小さいころは、ピンクのワンピースがお気に入りで、洗濯から戻ってくるたびにそれを着て出かけた。マイメロのおもちゃを持ち、ピースして写っている写真も残っている。可愛いものが好きだった私は、いつ“可愛い”を捨てたのだろうか。トレーナーにジーパンの私が、“普通”になったのは、いつだったのだろうか。

集団生活の中で「可愛い」は悪者のようになり、私は可愛いを捨てた

少し振り返ると、私の周りでは“可愛い”が、あまり許容されていなかったように思う。小学校では、女の子らしい仕草は「ぶりっ子だ」と言ってバカにされ、当時はまだ珍しい可愛い色のランドセルを持っている子は批判されていた。

中学校に上がると、運動の苦手な子が少し怖がりながらボールを受けると「可愛い子ぶっている」と陰口を言われた。集団生活の中では、“可愛い”というのは悪者のようだった。なるほど、男らしいほうが嫌われないのかと勘違いした私は、制服以外でスカートを穿くのをやめ、青や黒といった小物を持つようになった。

今思えば、それは自然に可愛い仕草ができる子に、皆がやきもちを妬いていただけ。当の本人たちは、自分たちが発した“可愛いは悪”から早々に抜け出し、高校を卒業するころにはSNSに“可愛い”をふんだんに載せていた。皆で捨てた“可愛い”を拾うタイミングを逃したのは、私だけのようだ。

そうやって、周りがどんどん変化していく中、私がやっと勇気を出して手に入れたのは、100円ショップで売っていたクマの小さなポーチだった。リップクリームを入れると、あとはピンや腕時計くらいしか入れられない、ほんとうに小さなものだったが、それは私に“可愛い”を少し取り戻してくれた。

可愛いを捨てた私に、また可愛いをくれた「クマの小さなポーチ」

カバンの底にひっそりと佇むそれは、小さい私が捨てた“可愛い”とは少し違っていたが、大きな私が拾うにはちょうどいい“可愛い”であった。このクマは、私が新たなものに手を出そうとするとき、大きな支えとなった。

もう私は、これほど可愛いものを持っているのだから、もう少し“可愛い”に近づいてもいいのではないか、という謎の自信を与えてくれる。あのとき、108円で手に入れたものは、私に値段以上のものをもたらしてくれた。

先日、チェック柄の膝上スカートを買った。紺色に白と山吹色のような黄色の線のチェック柄だ。「どこにそんなもの穿いていくのか」と頭の中で、会議がたびたび開催されている。

けれど、それを吊ったクローゼットを開けるたび、私は大きな一歩を踏み出したのだと、自然とあがる口角が教えてくれる。これを着て、次はフリルの大きな襟を買いに行こう。ブラウスは少しハードルが高いから、いつでも外せるような付け襟を。

こうして大きな私は、小さな私が捨てたものを一つずつ拾い集め、救ってあげるのだ。あなたは無理に男の子のようなものを持ち、「『それが自分である』と言い聞かせなくてもよくなったのよ」と言い聞かせるように。