また延期かぁ。コロナのせいで、私は彼氏に会えていない。そのまま1年が過ぎた。

本当なら、結婚もしているはずだった。親はやれやれという感じで、どこか我慢しきれていない私をたしなめる。私は仕方がないから、家で料理ばかりしている。元からの料理好きに拍車がかかり、最近はコロナ前では自分が作るなんて想像もしなかったようなものまで作っている。そうしている時は、少しは気持ちも軽くなる。

我慢を重ねた結果、コロナへの文句は「彼への文句」へと変わった

もし万が一、私が結婚して県外移動なんかして、コロナが広まったら大変だ。彼の会社ではま、だコロナ感染者が一人も出ていないのに、第1号がこんなしょうもない理由では、申し訳が立たない。

責められるような理由ではないのかもしれないが、私一人が責任を被って済む話にはならない。多くの人に迷惑がかかる。彼の仕事にも響くだろう。だから、ごねない。文句を言わない。タイミングをうかがう。仕方ないのだ。気長に待つしかない。

この1年で、まぁひどい喧嘩はしたし、「別れる」なんて言葉も飛び出した。我慢に我慢を重ねた結果、コロナへの文句は彼への文句へと変わった。でも、別れなかった。時間はかかったし、遠回りだったけれど、この時期にいろんな勉強や経験をして、少しは成長した。
そもそも、これで文句が出る私は未熟だ。そう気づいただけでも進歩だ。

遠出はできないし、近場の移動でも気を遣う。友達とも会えない。楽しみにしていたイベントもなくなった。それでも知人で亡くなった人がいないからいえるだけだろうけれど、悪いことだけでもなかったと思っている。

私は大学受験でも苦労して失敗した。その失敗を「親のせい」にもした

私は大学受験でも苦労して、結局失敗した。親のせいにもしたけれど、こんなのわざわざ言うまでもなく、私の学力不足が原因だ。進学費用を十分に用意できない親のせいなわけがない。同じ条件で第一志望に進学した弟を思えば、こんなの甘えでしかない。

それに、いい大学に進学できなくても楽しく暮らせる。台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンのように、本当に頭がよければ学校に行かなくても、やり方はいくらでもある。そのどちらもできない時点で、私がしょうもないのは私の力不足以外の何物でもない。

「運のいい勝ちはあっても、運の悪い負けはない」学生時代の恩師の言葉だ。運良く勝つ人はいるかもしれないが、私が負けたのは不運ではなく私の力不足。志望先に落ちた後も、できることはあったはずだ。それでも、結局“よくある大学生活”を送る堕落した学生だった。まじめに学問に励む弟を見ていると恥ずかしくなった。本当は、これがあるべき学生の姿だ。

でも、自分がその程度の人間だなんて、認めてしまいたくはない。できる人は運がいいだけではなく、努力もしているんだなんて認めたくはない。自分が惨めになるからだ。

意外と多くの不幸は「自分次第」で、改善の余地があるのだと思う

コロナで会えない日が続いても、それをコロナや誰かのせいにするのはお門違いだ。私が彼氏と結婚できれば、私たちはコロナに負けなかったことになる。逆に別れてしまえば、それは遅かれ早かれ、そうなるべくしてなった仕方のないことだといえる。コロナは、きっかけにすぎない。

もちろん、全てのことがそうだとはいわない。政治が改善すべきこともある。でも、意外と多くの不幸が、自分次第で改善の余地はある。それを認めることは辛いことだけど、そう思わなければその不幸からは、いつまでたっても抜け出せられない。

本当にうんざりすることもあるけれど、コロナはきっと試金石だ。全部が全部ではないけれど、きっと私たちはコロナに試されている。受けて立とうじゃないか。それができてこそ、本当のアフターコロナが待っているはずだから。