幼い頃から、私は「人をダメにする」人間だった。
始まりは幼稚園、私が他の人と遊べば狂ったように怒ってくる友人がいた。早生まれで体も小さかった私は、力も強いその子から逃げるすべを持たなかった。母親は子ども同士の微笑ましいコミュニケーションと捉えて対応してくれない。登園拒否は恥ずかしくてできなかった。
彼女とは小学校6年間も同じように過ごしたのに、中学校が別れた瞬間パタリと連絡が来なくなった。どうやら彼氏が出来たらしい。果たして、彼女に怯え続けた私の8年はなんだったんだろう。
突然心のシャッターは下り、死にたいと繰り返す友人と話さなくなった
良くも悪くも平穏なスタートを切って、中学でできた新しい友人にはびっしりとリスカ痕があった。当時はスマートフォンがなかったので、ガラケーに毎晩毎晩電話がかかってくる。通話料が高いと母に怒られるが知ったこっちゃない。死にたい、死にたいと繰り返される深夜の電話が怖くて堪らなくて、でもやっぱり登校拒否はできなかった。ある日の電話でぷつりと糸が切れ、その友人に心のシャッターを完全に下ろした。話しかけられても話さなくなった。限界だった。
その子は不登校になった。私は先生から呼び出され、どうして虐めたのかと聞かれた。献身的に彼女に尽くしていた私は、彼女の手によっていじめっ子にされた。
教室に戻ると、幼稚園からの付き合いの男子に「お前は人をダメにする女だな」と言われた。私はどうやら、自分でダメな友人を作り上げているそうだ。この言葉は今でも私の耳に残っている。いつまでも、きっとずっと消えない。
頭のいい人はメンタルも強いと信じ進学校に進学。でもやっぱりいた
高校は地元の進学校に進んだ。頭のいい人はメンタルも強いんじゃないかという、よく分からない思い込みで決めた。中学3年生の私には、それくらいしか縋れるものがなかった。
高校で友人は沢山できた。毎日が楽しかった。楽しかったから、もっと楽しくなりたいと思って部活を始めた。そこに、その子がいた。
自称うつ病のその子は、いつかの誰かと同じように毎晩私に電話をかけた。高校入学と同時に買ってもらったスマートフォンは、放っておけば通知が100件を超える。月の1週目で通信制限になった。一度も受診したことがないらしい精神科を勧めると「私のことが嫌いなの」と暴れた。
先生はいい世話役ができたと思ったのか、その子の精神的な課題を全て私に解決させようとした。授業中にトイレに引きこもれば私が呼びに行かされた。保健室にもついていかされた。それをしなければ「なんで弱い人に付いていってやらんのか」と詰られた。「優しさが足りない」とも言われた。
「どうしてもっと私のことをわかってくれないの」と泣かれたこともある。知らん。別にわかりたくもない。そう思ってしまう自分の冷たさが嫌だった。その子も、その子といる自分も嫌いだった。
高校でたくさんできた友人は、確かにたくさんいたはずなのに誰も助けてはくれなかった。大学に入ってその子のSNSを全てブロックした。成人式では、駆け寄ってくるその子から逃げた。我が事ながら、最低の人間だ。
心の弱った人を助ける神が、私の周りに死にたい人を配置しているのか
大学は地元ながら、同じ高校から誰も通わないような辺境の専門性の高い大学に通っている。ここにも、私が「ダメにした」人がいた。彼女にはニートの彼氏がいた。当然のようにリスカ痕もあった。深夜の電話も復活した。どうやって離れようかを考えているうちに、彼女はあっさりと退学していった。
大学はいい。先生が生徒に無関心だから、彼女が退学しても誰も私のことを責めないのだ。誰も私のことを「人をダメにする」なんて言わないのだ。私にとって、それが何よりも嬉しかった。
たった20年弱の人生で、笑い話にしたい程、周りの人から死にたいコールを聞いてきた。これからはどれほど聞くのだろうなんて、不謹慎すぎて誰にも言えない。いつかの先生のように、「優しさが足りない」と言われたくない。死にたいと縋られた私は誰に縋ればいいのか、優しさの足りている先生は教えてくれなかった。いつまでも、私の優しさは足りないままだ。
プロポーズしてくれた彼氏の姉は希死念慮がある。何回か運ばれたこともあるらしい。まだまだ私は、死にたいコールを聞かなければならないのかもしれない。
心の弱った人を助ける神が、私の周りに死にたい人を配置しているんじゃないだろうか。
なら神様、もし私のことを心の弱い誰かのために作ったのなら、私をもっと優しくて、温厚で、人を見捨てることの出来ないような人間に作ってくれやしませんでしたか。
死にたいと言われて、自分も死にたくなるような、弱い人間には荷が重すぎやしませんか。