現在に至るまでの私を箇条書きで説明すると、大学院生、就活生、病人、フリーター、無職、そして求職者である。いくつもの挑戦を経て、いくつもの挫折を味わってきた。完全に「真っ当な」生き方から外れたな、と自分で思う。
はじめは学者になりたかった。
この世は知らないことで溢れていて、なぜ人は保身のために他者を傷つけるのに、自らを省みず他者を助けるのか、その判断の分かれ道は一体何なのか。価値観や道徳は時の流れによって意図もたやすく変化する。そういった移り変わりの理由を知りたくて毎日必死に勉強していた。
生活に不自由を感じても夢が挫けることのなかった私に訪れた終わり
院生時代、一番大変だったのは専門分野外の研究報告をしなければならなかったとき。そして、その報告が九週間続いたとき。しかもその内の一つは、飛行機を乗り継いでようやく行ける遠い遠い場所での学会発表だった。
学生だったからまとまったお金は無く、交通費で有り金を使い果たした私はおいしい料理で有名なその場所で夕食を楽しむことはできず、全国どこでも同じ値段で同じ味を提供してくれるコンビニのおにぎりを頬張りながら、次の週に発表する原稿を執筆していた。
それでも学者になりたいという夢が挫かれることがなかったのは、人間の心を知りたいという知的好奇心が体中を駆け巡っていたからだ。
しかし、結局私は学者になることを辞めた。それは、一人の偉い偉い先生に「君の研究には先がない」と言われたからだ。
研究者になるには大学の指導教官やその道の専門官である他大学の教授、雑誌の査読者など多くの人を納得させなければならない。誰か一人でも「NO」と言えばそこで道は絶たれる。
もしかしたら、これは管見の限りであって、他の大学や分野ではもう少し違うのかもしれない。しかし、実際に私の夢は多くの発表をこなし、それなりの研究成果を出してきたのにも関わらず、専門分野外の教授の一言で終わりを迎えることになったのだ。
そしてそれを悟った瞬間、今まで無視してきた心的疲労が一気に私に襲い掛かってきた。
「この解釈で行けるだろうか」
「もう貯金がない」
「ここまで来たらもう後には引けない」
「家族に申し訳ない」
平気な顔をして大学院を卒業したが、就活を始めた瞬間に貯めこんだ不安が爆発し、もうこれ以上頑張れないことに気が付いてしまった。
社会復帰をするために始めたアルバイトで完全に委縮してしまった
ハローワークの求人に応募した瞬間、不安が頭をもたげ、結局こちらから面接を断ってしまうことなどもあった。面接練習でぼろくそに批判され、半狂乱になったこともあった。今まで知的好奇心という麻薬で不安を抑え込んでいただけで、私は全然大丈夫じゃなかったのだ。
そして自分を破壊したかつての研究対象を私は憎悪した。
大好きだったからこそ、辛い時も頑張れたのに!心の支えだったのに!
このあたりで心身の健康が最悪状態であることに気付いた私は、地元の小さな心療内科を受診した。とりあえず薬を飲み、不安を飼い慣らすため2020年の夏と秋をうずくまって過ごした。
幸い薬は良く効き、冬を迎えたあたりで断薬することができた。
不安を克服できたのなら、もう一度挑戦できるはず。
そう思った私はまた就活を始めることにした。正社員として応募すれば、もしまた精神状態が悪化した時対処し辛い。そう考え、まず社会復帰からとアルバイトから始めることにした。
しかし、そこはとんでもないところで、未経験者の私はのけ者にされ、冷遇された。
「あなたには社会人経験がないから」
「プライドが高い」
「意味わかんない」
それぞれ言われた状況は異なるため、恣意的な抜粋にあたるかもしれないが、こんな言葉を平気で浴びせかけられる人に囲まれた私は完全に委縮してしまった。
未経験だからこそ、早く仕事を覚えたいだけなのに。
社会人経験がないからこそ、ここで学びたいのに。
何をしても何を話しても「経験がない」ことを理由に否定される。2019年の冬からずっと、私は社会に拒絶され続けている。この世に、私の居場所はないんじゃないかとさえ思った。
ふと気づいた四季の美しさは私にとっての「幸せ」に気づくキッカケとなった
そんな風に思いながら、ゴミ捨てに向かった時である。
その日は2月ながらも暖かい日で、いつも不機嫌そうなゴミの分別をしてくれるおじさんと「今日は暖かいですね」なんて世間話が弾んだくらい、誰の心をも溶かす暖かい陽光が差し込んでいた。
そしてふとトラックの搬入口の方へ目をやると、山にうっすらとかかる霞が太陽の光を浴びて桜色に変じていた。その時、唐突に理解したのである。
私は、四季をいつも感じていたい。
私の幸せは、困難な状況でも前を向ける人間の心の美しさを讃えることなのだと。
四季の中で移り変わる人間の生活に、私の幸せはあると。
学歴じゃない、ステータスじゃない、年齢じゃない、健康じゃない、事務作業の丁寧さでもない。どんな人も生活を営んでいる。悲喜交々が織り成す生活に、正社員だの非正規だの学歴だの年齢だの、関係があるか?そんなのはただのレッテルで、本質じゃない。
時代が変われば意味合いも変わる。私を否定する今のこの世の中も、いつかきっと変わる。だから、今に囚われず自分の心に従おう。
その心から沸き起こる「肯定」は、奇しくも私が捨て去ったはずの研究テーマそのものだった。
心に沸き起こった肯定と希望を胸に、私は新しい目標へ向かう
今、私は自分と同じような人を勇気づけたいと思い、ライターとしての職を探している。文字情報は読む人のペースを阻害せずに寄り添える。ライターになって静かに悩める人の隣にありたいと思ったのだ。
さっそく先日一社応募したが、今日選考に落ちたという連絡がきた。正直かなりがっかりしたが、「なんとかなる」と信じて突き進めている。そして今日もまた一社応募し、この原稿を書いている。
私は私を肯定できる。いつか社会と分かり合える日が必ず来る。
だって、この世は諸行無常で、希望があるから。