私にはひそかな夢がある。
それはアメリカのNYに大好きな「ドラッグクイーン」のショーを観に行くことである。
彼女たちの煌びやかな衣装やメイクアップは魅力的で、そして何よりも生物学的にはかろうじて女性である私よりもはるかに「女性としての美」を追求する姿勢がある。

初めて画面越しにドラッグクイーンを見たときの私は、すっぴんでボサボサの髪を一つに束ねた俗にいう「おうちスタイル」で、まさに彼女たちと「月とスッポン」であった事実はこの際控えておきたい。

留学先で出会ったドラッグクイーンのテレビショーが絶望の淵にいた私を救い上げた

私が彼女たちを知ったきっかけは、あるアメリカのテレビショーである。
当時、ドイツに留学していた私は、語学学校で思うように友人ができず日本人特有ともいえる内弁慶さを「これぞジャパニーズ精神だ!」と言わんばかりに発揮し、自分の意見を思うように伝えることができず悩んでいた。

留学以前はどちらかといえば、自分の意思を大事にするタイプであったし、自分の気持ちを相手に伝えることについては特段悩む経験をしたことがなかった。そのプライドも相まって、理想と現実の落差に落胆し絶望の淵に立たされていた。

そんな絶望の淵にいた私を救い上げてくれたのが……というと少しドラマティックすぎるかと心配になるが、とにかく現実逃避がしたくて偶然見つけたのが、ドラッククイーンたちが熱いバトルを繰り広げるテレビショーだったのである。あまりにもありふれた出会いではないかと思われるかもしれないが、ドラマティックな出会いなんてほんの一握りであり、たいがいは変哲もない些細なものであると個人的には思う。

ドラッグクイーンから「自分らしく生きる」勇気をもらった私は自信を取り戻した

なぜ、こんなにもこのテレビショーにハマったのかというと、彼女たちがみな「自分」が女性として生きることに誇りを持ち、自分の軸を決して曲げない姿に胸を打たれたからである。

このショーレースの設定は、アメリカ各地のドラッグクイーンが一堂に集結しその中で「真のクイーン」を決めるものなのだが、毎回一人ずつ脱落していくというシビアな内容である。そのレースに残るために、彼女たちは自分を活かした衣装を身にまとい踊り、時には仲間割れをしていがみ合ったり、悔しさに涙をこぼしたり。

美しい女性としてテレビに映る彼女たちも、きっと人には言えない暗い過去を抱え、自分が「女性として」生きるために想像を絶するような努力をしてきたのであろう。
だからこそ、彼女たちには人を引き付ける魅力があり自分に誇りをもって生きているのではないだろうか。

そんな彼女たちに私は、「自分らしく生きる」勇気をもらい、彼女たちの「自分たちを誇りに思うその姿勢」を心から尊敬している。
その後、私は息を吹き返したように、自信を取り戻しなんとか数人の友人もでき自分なりに充実した留学生活を送ることができた。

日本でも、個人の性や結婚に関する多様性を認められる日が来ることを願っている

日本に帰国してから思うが、日本社会に根付く伝統的な「家族観」はLGBTQのレインボーカラーが輝く現代では色褪せて見えるし、日本が同性婚について「後進国である」と揶揄される大きな要因の一つだと思う。

確かに、生物学的には「女性」と「男性」に区別されており、子孫を残すためには異なる性別同士の人間が対にならなければ困難なことである。
しかし、女性として輝く男性を尊敬してはいけない理由はどこにもないし、愛し合う人間の愛を否定できる権利を果たして私たちは持っているのだろうか。

今後、日本が国際社会の中で「先進国」として生き残っていくためにも、個人の性や結婚に関する多様性を認めていくべきであると考えている。日本で法律によって同性婚が認められることそして、ひそかな私の夢が叶う日が来ることを心から願っている。