「誰とでも仲良くできる」それこそ正しいと思っていた私のしんどさ

私を変えたひとことを思いついたとき、懐かしい感じがした。そのひとことをもらう前と後では私の人との関わり方がガラッと変わったからである。

私は昔から人に合わせることが得意だった。例えば性格や考え方が全く異なる人とでも向こうのテンションに合わせて、まるで「同じことを考えていますよ」というように。どんな人とでもうまく付き合っていれば何事もうまくいくと考えていたからである。

実際に仲良くしていた友達は多いし、遊びに誘ってくれる人はたくさんいた。「○○ちゃんはみんなと仲いいよね」「○○ちゃんには何でも話せる」などといろいろな人に必要とされている自分が好きだった。周りに人がいないことが嫌いで、周りの人に必要とされていることが自分の価値に繋がると思っていたのだ。

でも違った。人に合わせることがしんどいと感じ始めたきっかけは、私がサークルでみんなをまとめる立場になってからだ。サークルのメンバーとしなくてはならない仕事の話や、自分が本当に好きな友達に対する愚痴を聞かなければいけなくなった。

元々誰の話でも肯定しながら聞く癖があったのではじめのうちは良かったが、だんだんと仕事に愚痴にと自分のキャパシティを超えてしまって、しんどくなった。例えばサークル内であまり仲が良くないメンバーがいて、それをフォローしながらそれぞれと話していると、なぜ私がここまで気をまわさないといけないのかというタイミングが多々あった。

親友の何気ないひとことがしんどい私を救ってくれた

そんな時、私の数少ない何でも話せるとても大事にしたい友達と二人でご飯に行くことになった。彼女は合理的で自分の得にならないならわざわざ関わろうとしないという、私とは真逆のタイプだった。

実は付き合いは長いが二人きりで出かけたことはなく、この時はじめて二人きりで話す機会になった。彼女はよく私に「本当に○○は特にならないし、なんなら損するのに誰とでも仲良くやっていけるね」と言っていた。

今まで私はそれをいいことだと思って誇らしげに思っていたが、だんだんしんどくなってきていた私はそうは思わなかった。そして私は彼女に「うまく付き合っていこうとするの最近疲れてきた」と相談した。

この時に彼女が言ってくれたひとことが、私を変えた。それは、「自分のためにも関わりたいと思う人とだけ関わりな」という言葉だ。
当たり前のことだが、私にとっては「それでいいんだ」と肩の荷が下りた瞬間だった。それからは、苦手だと思う人とは自分からLINEをしたりすることはなくなったし、遊びに誘われても気分が乗らなければ断って自分のための時間にするように変化した。

“自分を大事にする人との関わり方"で変わった私

このコロナウイルスの状況が私にとっては人間関係を見直すいい機会になったと考えている。遊びの約束が入ることもあまりなくなり、本当に自分にとって必要な人か、必要じゃない人かがはっきりしたと感じている。

本当に人間関係が楽になったし、余計なエネルギーを使わない分、検定の勉強や、英語の勉強、読書や趣味の博物館めぐりに時間をさけるようになって、とても充実した楽しい時間が過ごせている。

人間関係のことについて言うとノーストレスだ!以前私が好きだった私ではなくなってしまったが、今はこの私が好きだ!自分が必要だと思った人に自分も必要とされる、それだけで幸せなことだと今は思う。

まさか彼女の何気ないひとことで私がここまで人間関係を見直すことになったとは彼女自身思っていないだろう。だが、私は本当に感謝しているし今がとても楽しいと今度会ったときは伝えたい。