地球上の人間、全員に愛されたい。初めてそう感じたのは小学生の頃だったように思う。

クラスにすごく面白くて、優しくて、みんなに人気者の女の子がいた。せいなちゃんという名前だった。休み時間になるとせいなちゃんの机に女の子が集まって、話しかけたり、お手紙を渡したりして、せいなちゃんにおのおのアピールした。わたしもアピールしている群衆のひとりだった。

せいなちゃんはバレンタインの時期になると友チョコをたくさんもらっていた。家に持って帰りきれないくらい、腕にいっぱいのチョコレートを抱えたせいなちゃんが羨ましかった。せいなちゃんはいつも周りに人がいて楽しそう。チョコレートをたくさん貰えるのもいいな。わたしもあんな人気者になってみたい。みんなに好かれたい。

嫌われるのが怖くて人の意見を否定できなくなった。どれが本当で、どれが偽物の自分?

そう考えたわたしは、人に好かれたくて、嫌われるのが怖くて、人の意見を否定できなくなっていった。思っていない意見でも、同調してしまうようになった。そうやって過ごしていたらある日、クラスの女子にこう言われた。
「いったい誰の味方なの?」

中学生の頃好きだった男性アイドルは、アイドル誌のインタビューで好きな女の子のタイプは?と聞かれてこう答えていた。
「人によって態度を変えない人」
人によって態度が変わることの何がいけないんだろう?たしかに、嫌いな人だからって好きな人にはしないような酷いことをしたり、この人ならいいやって気持ちで何かを押し付けたりするのはよくないと思う。
でも、今いる目の前の人に好かれたくて、その人が求めていると思う理想像に自分を近づけることの何がいけないんだろう?わたしは嘘をついているのだろうか?どれが本当の自分で、どれが偽物の自分?
好きな女の子のタイプは「人によって態度を変えない人」と言っていたあのアイドルだって、アイドルの自分とプライベートの自分がいて、どちらが本当の自分か分からなくなっているのかもしれなかった。だからこそあの回答だったのかもなぁ、なんて中学生ながらに妄想した。

美容系動画を見て気づいた。自分の見せ方を変えているだけで、どれも本当のわたしなのだ

そうやって、どれが本当の自分なのか分かりかねているうちに、わたしは大学生になった。人生で初めてのメイクをした。どんなメイクが自分に似合うのかはおろか、ベースメイクの順番も分からなかったわたしはYouTubeを開いた。

お、この人のメイクかわいい。ある一人の美容系YouTuberのページに飛んだ。そこには彼女がこれまでアップロードしてきた動画が一覧で並んでいて、「彼ウケ!デートメイク」「女子会メイク」「オフィスメイク」と色々なシチュエーションに合わせたメイクを施した彼女がいた。
これを見た時、わたしは自分のなかでどこか納得した。これと一緒だ。
どんなメイクをしたって、わたしはわたし。わたしはシチュエーションに合わせて自分の見せ方を変えているだけで、どれも本当のわたしなのだ。

地球上の人間全員に好かれたいと願う。これからもシチュエーションに合わせて生きていく

23歳になったわたしは、今でもやっぱり、一緒にいる人、自分が置かれたシチュエーションによって違う自分になる。小学生の頃みたいにどんな意見にも同調するようなことは無くなったけど、彼氏の前では可愛くいたくて大人しくなってしまうし、友達といるときは相手に楽しいと思って欲しくて少しおちゃらけてしまう。恋人、友達、家族、会社の人にわたしのイメージを聞いたら、みんな違う答えが返ってくるんじゃないだろうか。

「ありのままでいいじゃない」とか「そんなの自分がないよ」と言う人もいるかもしれない。でもどれも本当の、ありのままのわたしだ。今でもなお、地球上の人間全員に好かれたいと願うわたしは、これからもこうやって生きていくことを、ここで決意表明させてほしい。

ちなみに、「私」ではなく「わたし」を使うのはその方が読む人が柔らかく感じ、世界に入り込める、と個人的に思う故の選択だ。これを読んだ人が、少しでもわたしに共感して、わたしのエッセイを愛してくれますように。