人との会話で、「あなたってこんな性格だよね」「○○してそう」とかよく言われるけど、決められるのはあまり心地いいものではなかった。相手によって発する言葉は違う。

「優しいね」「不思議系だよね」「ツンツンしてるよね」「いつもニコニコしてるよね」その人との関係性によって、私とはどういう人だと思われていることが異なるようだ。

いろんなことを言われるので「本当の自分」がわからなくなっていた

いろんなことを言われるので、長い間、本当の自分がわからなくなっていた。"私”はいつのまにか、私がコントロールできるものではなくなって、暴走していた。

平野啓一郎さんの著書「私とは何か――『個人』から『分人』へ」には、「たった一つの『本当の自分』など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である」とあり、場によって、人間が異なる顔を持つのは、至極当たり前だと述べられている。ある人と一緒にいるときの、"自分”が好きなら、その好きな自分でいられる時間を増やすことが大事とのことだった。

私が好きな自分の顔って何だろう? 自然な私であること、人から気に入られる私であること、できれば2つを両立させたかった。元々は、内向的で一人が好き。けど、社会や学校、家庭でうまく評価されてやっていくために、仮面をつけざるを得なかった。周りの人からの反応を素直に受け取って、自身のなかに取り込んでいった。

小学生のとき、女友達に「すぐ笑うから気持ち悪い」と言われて、笑うのを控えるようになった。好きな男子と取り巻きに「キモい」と言われて、人は信用できないと感じた。「愛想よくしろ」と大人から言われて、愛想笑いを覚えた。

他人から言われたことを真っ正直に受けて、「自分の顔」を作っていた

そうして大人になったら、友人から「よくビジネス笑いするね」「変なところで笑うね」と言われた。お酒が好きだと会社の人から喜ばれるから、酒好きキャラになった。いつからか、どういう風に人に見せたいのかも、どういう風に見られているのかもわからなくなった。

失敗したら何がよくなかったのかを学び、すぐに改善することは、得意なところだった。勉強や仕事の場面では役立った。同じように自身の性格や態度を変えてきたつもりだったが、変えられるときと変えられていないときがあった。周りからは態度が一貫していなくて、不思議に見えたみたいだ。好きで変なキャラを演じているわけじゃないんだけど。

何もかもが裏目に出ている。自分としては、人から言われたことに従って生きてきたつもりもなかったのだが、こうやって振り返ってみると、ある特定の人からの気まぐれな反応を真っ正直に受けて、"自分”の顔を作り上げてしまっていた。

あなたは誰? 私もわからなくなっていた。その誰かのために自分を変えて、何かいいことがあったのか。その人ってそんな大事な存在だったのか? もっと自分のためにふるまうべきだった。仕事では、無理して営業職をしてきたと気づいて、去年仮面を剥いで捨てた。

誰かの反応にビクビクせず、自然な「自分の顔」を信じてあげよう

最近、絵画教室に通っている。絵を描くことが好きだった頃の自分を知りたくて通っている。

先日、絵を描いたとき、いかにうまく描けるか神経を張り巡らしているのに気がついて、リラックスできずに描いている自分を認識した。

もっとありのままに楽しめればいいんだけどな。誰かの反応にビクビクせず、自然な自分の顔を信じてあげたい。仮面をつけるのはたまにで。