私らしい生き方ってなんだろう。

約4年間、医療関係に勤めていた。忙しい現場にも慣れ、日々やりがいを感じていたし、仕事もプライベートも毎日充実していた。
しかし、コロナ禍になり、自分の中で疑問に思っていた事や溜め込んでいた事が破裂し、体調を崩し今年退職をした。

事の始まりは、コロナが世界を飲み込んでガラッと今までの生活が変わり始めた頃。

未知の感染症に怯えながら、これまで通りの働き方を求められていた。私たちの人権って?

その頃、日本がロックダウンされ、メディアでは外に出るな、蔓延を食い止めようという情報で溢れていた。
そして未知の感染症の恐ろしさ語る番組が多く放映され、世間が恐怖に怯えていた。
もちろん私も情報を受け取り怯える一人の市民であった。

しかし私の日常は変わらず、電車を使い仕事をしていた。
医療関係と言っても“人間の命”を扱っている現場での仕事ではない。扱っている対象が“別のもの”である以上、このような状況下では最低限の働き方をするべきだと思っていた。
実際、知り合いの同業者が勤めている現場では、最低限の人数での仕事、緊急性がない仕事は断るなどの対策がとられていた。

私の現場はどうだろう。
対策どころか、コロナ禍以前の通常通りの働き方を求められていた。
このような事態になっても何も変わらない日常に不満を持っているのは、もちろん私だけではない。休憩時間に上がる話題はいつも“私たちの人権って?”という内容であった。
同僚達は働くことに疑問を感じ、コロナの恐怖に怯えているのに表では何も言わずに日々働いていた。
組織のトップを変えないと、この状況は変わらないのに。
不満を言わないで無理している事が偉い?
世間の情報に煽られようが、今までの生活を続ける事が本当に正しい事なのか?

この状況はおかしいと提案すると“そんな怖いなら明日から来なくていいよ”と上司は言った

私はこの状況に耐えられなかった。
いきなりトップに話をつけるのはためらうので、勤務歴が長い、一番近しい上司に相談をすることにした。
しかし、この出来事が後に退職を決めたキッカケであった。

仕事でもプライベートでもいい距離感で信頼をしていた上司。
話せない事は何もないと思っていた。私は今のこの状況がおかしい事、同業者の現場での対策や、最低限の働き方をした方がいいのではないかという提案をした。
上司はただ淡々と話を聞いていた。
途中からいつもとは違う“相槌”に私も気づいていたが、話を最後まで進めた。
「話はもう終わり?」
はい。そうです。そう答えると、上司は一言、“そんな怖いなら明日から来なくていいよ”と言い放ち、席を外した。

同僚達は耳を澄ましてその会話を聞いていたはずなのに、何も言ってこなかった。
他の同僚達はわかっていたのだ。誰かが声をあげたところで、この組織に染まっている者に何を言っても無駄だということを。
ただただ、上の指示に従っている事が自分を守るために一番正しい選択だということを。
私は上司に言い放たれるまでわからなかった。

私は退職した。ここから離れて私らしく生きる選択をしようと決めた

その後も私の日常は全く変わらなかった。
日常が変わらない代わりに私の考え方が変わった。
情報を鵜呑みにして怯えている私がおかしいんだ。
この組織が“おかしい”と思っていることが”おかしい”んだ。
恐怖を煽る情報は一切シャットダウンした。
テレビのコンセントを抜き、SNSのアプリを消した。

そうすることで、最初は“今までの日常”を取り戻せていた。
しかし、その後すぐに心身ともに崩れた。
心の浅いところは誤魔化せても、心の深部にはしっかり今までの私が生きていたからだ。

この組織に何を言っても無駄だということはわかった。
ここから離れよう。
私らしい生き方をしよう。

退職をした今、コロナの影響で以前の日常とは違う世界になっていることを知った。
個人が感染対策をして人と距離を取ることがマナーであることを実感した。
今の時代の“当たり前”をようやくできるようになった。

今は少しだけ、心の休息が必要なのでゆっくり過ごしている。
感染対策をしている環境でアルバイトをしながら、次のステップのための勉強をしている。
以前よりもお給料は少ないし、肩書きもないけれど、今の生活がとても私らしくて、心地がいい。

これから数年は、コロナと共存する生活が続いてしまうと思う。
新しい生活を求められた世界で、私らしく生きられる選択ができてよかった。