私が変えたいのは、祖母である。正しくは、祖母の世代の考え方というべきかもしれない。

祖母は80代、長年培ったその考え方を変えることはできないだろう。しかしながら、私は変えたいのだ。自分が自分らしく生きたいから。

「祖母の世代」は、自分くらいで結婚し、出産していたのだろう

最初に疑問を抱いたのは、20代に入った頃である。仕事に楽しみを見出してきた頃、たまたま帰った実家で祖母に言われた言葉が、気にかかったことからだった。「あなたが結婚して赤ちゃんを抱っこする姿を夢に見たの。早く見たいわ」と。私は当時結婚もしていないし、出産予定もない。にも関わらず、キッパリと祖母は私に言ったのだ。

祖母の世代は、当時の自分くらいで結婚し、出産していたのだろう。知識としては、そのくらい知っていた。しかし、今の世代の私には、まだ早いと思う年齢だった。真正面から祖母の考え方、そして自分に対する期待と欲に、良くも悪くも鳥肌がたった。

どう表せばいいかわからない、嫌悪感にも近い感覚を私は両親に個別に相談した。母は、そういう時代の人だと思うようにと私を諭した。それは確かにと、自分を納得させることのできる材料だ。しかし、いまいち晴れない。

問題は父だった。その言葉を聞いた瞬間、怒りだしたのだ。「そうやって孫に嫌われることをよく言えるな」と独り言のように呟いた。確かに言葉に嫌悪感はあったが、そこで父親に言われることも不思議だった。嫌うかは私が決めること、確かに納得のいかない言葉を受けたが、それをどう捉えたらいいか分からないだけ。なぜそれを祖母の悪口になって、返されているのかわからなかった。

「母親の世代」は、私に結婚や出産を強制しないことに気付いた

そこから、祖母ともほどほどの付き合いを経て、数年後、私は結婚した。結婚報告のたびに沢山の親戚に祝われたが、祖父母世代の人々は口々に私に言葉を投げかけた。

「男性の気配がないから心配をしていた」「仕事忙しいから、そういうことは難しいのかと思った」と言われるたびに、またかと思った。深い気持ちで言っていないんだ、自分でなくとも言われているんだ、そう思いながらその言葉を聞いていた。

そんな中、ふと気付いたことがあった。叔母と母親世代の考え方である。叔母や母親は、所謂バブルを楽しんだとされる世代。社会に出る際、男女雇用機会均等法の制定や施行に当たった世代だ。そんな人たちは、私に一切の結婚や出産の話を振らなかった。顔を合わせる時、仕事の忙しさや近況報告しかしなかった。

仕事や結婚、出産を選ぶことが出来た世代の人は、私に選べることを強制しない。そして、それを当たり前のように話してくれるのだ。その時できていなくとも、出来たかもしれない社会の中で生きてきた人々。自分達女性が、今仕事をしやすくした基盤を作り年代を重ね、基礎の基礎を不安定な日本社会の中、作ってくれていた人々だ。

祖母の「生き方」を否定はしない。でも、現代の考え方を知ってほしい

それに気付いた時、祖母は選べなかったから、そういうことを言うということに気付いた。戦後に育ち、集団就職で外に出た女性たちは当時、仕事をずっとしたくとも出来なかった人が多かっただろう。職種にもよるだろうが、圧倒的に家庭に入ることが当たり前だったその世代には、今の仕事が選べるという環境が理解できないのかもしれない。

また、その環境が元々考え方としてないのかもしれない。でも、時は2021年。今は、今なのだ。そう思った瞬間、私はやっと祖母の言葉を少しだけ、素直に聞くことが出来た気がした。

私は、今の自分を変えられないと思う。それは、今の生き方で生きているからである。同じように、祖母も当時に倣った生き方をして生きてきた。

祖母の孫は、現代を生きている。もちろん祖母の生き方を否定する気はないし、その考え方はあっても仕方ないと思う。でも、現代の日本の考え方を知ってほしい。

そして、変わってほしいのだ。変わる方法を見せてほしい。次の自分が、新たに自分らしく生きるために。