「○○ちゃんのおしっこ入れてくれればいいよ!」これは、とある飲み会で、私が「お鍋のスープが少なくなってきたので、追加してもらいますね」と言った時に降ってきた言葉である。
「仕事の人脈」のため多少のセクハラ発言も笑って聞き流していたが
コロナ禍以前の、大人数での忘年会で起きた出来事だった。とあるビジネス関連の組織で会合があり、私も個人事業主として参加していたが、その組織にはほとんど女性がいなかった。年齢層も比較的高めで、20代女性の私は少なからず浮いていた。
しかし、フリーランスとしてなるべく多くの人との繋がりを持っておきたいと考えていた私は、それまで多少のセクハラ発言があっても笑って聞き流しており、その日もその組織の飲み会に唯一の女性として参加していた。
当たり前のようにオーダーをまとめたり、お酌をしたりと働いていたが、冒頭に記したこの発言には、さすがにダメージを負った。爆笑に包まれる場でへらへら笑いながら、「人脈より尊厳を大切にしよう」と心に決めた。それ以来、その組織とは縁を切っている。
新型コロナウイルスの蔓延により遺物となった“飲み会”だが、今後ワクチンの普及などに連れて再興する可能性はある。基本的には、また戻ってきてほしい文化だと思う。しかし、あの日の空になった鍋を思い出すと、腰が引けるのも確かだ。
死ぬまで「女」である以上、セクハラ発言に笑わなければならないのか
私が飲み会を変えるなら、“性差による態度の変化”を禁止にしたい。女だから酒をついだり、女だから帰りがけに忘れ物チェックを任されたり、女だから「鍋に尿を入れろ」と言われたりしない飲み会を開きたい。
年齢差による態度の変化なら、まだ受け入れられる。あと数十年もすれば、私自身が年長者になるため、その時になって若い人に「そんなことしなくていいから、楽しんで」と言えば済む話だ。
しかし、“女だから”を理由にされると、一生私は“こちら側”から抜け出せないのだろうかという絶望を感じる。死ぬまで女である以上、やはり死ぬまで「尿を鍋に入れろ」と言われて笑っていなければならないのだろうか。
“あちら側”にいる男性からすれば、本当にコミュニケーションの一つだと思っているのかもしれない。明確な悪意があるわけではなく、場を盛り上げるジョーク(だと自分では思っているもの)を言うことを優先しただけかもしれない。そんな人に対して、「禁止」などと言って通用するのだろうか。
セクハラ発言をする前に、相手が嫌な気持ちにならないか考えてほしい
正面からやり合うのは、難しいと思う。だから、一つだけ想像してほしい。あなたの娘や姪、その他身近にいる大切な少女が大人になった時、どこかの男性に「鍋におしっこ入れて」と言われるところを。もしかしたら、あなたは嫌な気持ちになるかもしれない。
私の父や身近な人も、今回の一件できっとあなたと同じ気持ちになったと思う。これはもちろん、私だけの話ではない。あなたが日ごろから“ジョーク”を言っているその女性にも、その人を大切に思っている男性の家族や友人がいる。その人たちが、今あなたが感じたものと同じ心の痛みを感じている。
私はもう、こういうタイプの男性が、女性を対等に見ることはないのだろうと諦めがついている。「女性の気持ちが傷つくからやめましょう」という単純明快な論法が通用しない時点で、諦めざるを得ない。だからこそ、想像してほしい。
“あなたと同じ”であり、“女性より優秀で価値ある存在”である男性が、あなたのジョークで間接的に傷つくかもしれないことを。次の飲み会では、心にとめていただきたい。