服が作られまくっているこの世の中で、みんなどうやって洋服を選んでいるんだろうか。

あ、近年よく聞く“サスティナブル”の話かと思った方は待って欲しい。
そうじゃない。
服は自分の価値を示す意思表示だと思うのだが、私はそれを意図的にコントロールすることがある。
これってあるあるなのだろうか、と問いたいのだ。

「ファッションは暴力だ」。面接での、面接官のファッションに私は圧倒された

具体的に言うと、ちょっと硬い仕事の時は、黒をベースで揃えた洋服にジャケット。
クリエイティブな現場では、派手な服を挑戦的に着ていく。
そして、親戚に会う時はわざと安いニットを着ることがある。

これを人はTPOと呼ぶのだろうか。

私はファッションが好きだが、ある時「ファッションは暴力だ」と感じたことがある。
とある面接を受けた時、面接官の人がものすごくファッショナブルで、アクセサリーはザ・ハイブランドと主張していて、確かに似合っていたのだがすごく強烈だった。
その時の私は学生でお金が全然なく、一応頑張って買ったふわっとしたニットは、その人を前にするとなんの価値もないただの布だった。
その面接では、言葉や思考、私のポテンシャルはあまり関係なく、ファッションのパワーで圧倒的に負けていて、もちろん受からなかった。
受からなかったこと以上に、私はその人のファッションの力によって傷ついていた。自分がみすぼらしく感じられた。

しかしそんな私であっても、祖母に会うと「そのワンピースいくら?」などと聞かれることがあった。
その真意って、「全く。そんないい服着て。」ということだったと思う。
無駄な贅沢はするなというメッセージだ。

綺麗めな服の私とくたびれた服の友人。取りたくもないマウントを取っているようだった

会社に所属すると、やはり会社のカラーがあって、それまでは目もくれなかったテイストの服を買うようになった。
ある日、駅でばったり学生時代の友人に会った。私は会社の雰囲気に合わせた、綺麗めな服を着ていた。友人はドタバタの仕事現場の最中だったようで、少々くたびれた服を着ていた。頭もボサボサで、お化粧はほとんどしていないようだった。
その時、「えー!久しぶり!」と笑い合ったが、何か言葉に出来ない空気に包まれていた。「すごく綺麗な格好だね」と彼女は笑った。全然意地悪な気持ちはなく、ただ感想を言ってくれただけだと思う。だけど、何か「格差」みたいなものがそこにはあった。
彼女は思慮深く、優しく、技術も高い、素晴らしく仕事のできる人で、私は到底及ばないのだけど、なぜかその時の私は圧倒的にパワーが強かった。取りたくもないマウントを取ってしまっているような感じだった。

私を傷つけた、そっち側の人になってしまっている気がした。

でも、仕事では自分のファッション性の高さがお客さんに対する説得力へ繋がったりする。ある一定の美意識を持つことは会社に所属している限り必須だった。

服だけじゃない。職業柄手元を見られることが多いのだが、指と爪の間にすごく汚れが溜まりやすい体質で、それが恥ずかしく、隠す意味も込めて普段ジェルネイルをしている。(もちろん素直にテンションも上がる)
そうすると、キラキラ系の仕事をしている人と一緒にいると“当たり前”なのだが、ナチュラル系の仕事をしている人と一緒にいるとなんとも居心地が悪いのだ。
「地爪こそ正義」という思考が漂ってくる。
なんとなく「ごめんなさい。」と思ってしまう。

服が変わると、自分の価値が変わる。難しいけど、私はファッションが好きなのだ

全く、どこに合わせればいいか分からなくて難しい。
自分が好きな物を着ていればいいじゃんという考えでは上手くいかないことが多い。

だから、ちょっと硬い仕事の時は、「自分をより聡明に見せ、価値のある女性である為に」黒をベースで揃えた洋服にジャケット。
クリエイティブな現場では、「ファッショナブルな人たちと同レベルの仕事が出来るという証明の為に」派手な服を挑戦的に着ていく。
そして、親戚に会う時は「気取っていると思われたくないので自分の価値を平民である主張をする為に」わざと安いニットを着ることがある。
ということだ。

もう一度書くが、これがTPOということなのだろうか。

服が変わると、自分の価値が変わる。
そしてまた、私も相手の印象を服などから読み取っている。友達になれるかどうか、恋人にしたいかどうか、などの判断はファッションの感覚が同等かが結構重要になってくる気がする。

ファッション誌ではいかにお洒落でいるかが日々論じられているが、一方ではお洒落をすればする程笑われることもある。ファッションって本当に難しい。
かといって同じ服ばかり揃えてそれを制服にするなんて絶対嫌なんだ。

さあ、明日は何を着よう。
難しいし、煩わしいけど、私はファッションが好きなのだ。