大学進学を機に家を出て2年。我が家の犬のチョコはおじいさんになった。

長期休暇で帰省する度、チョコがどんどん歳をとっていくのが分かった。ふわふわだったはずの尻尾にはもう毛が生えていないし、病気で見えなくなった左目は白く濁っている。耳ももう聞こえていないし、口だってちょっと臭い。前はわたしが学校から帰るや否や嬉しそうに駆け寄って来てくれたのに、今は数ヶ月ぶりに帰ってきても気がつかずにすうすうと寝息を立てている。
ねえチョコ、わたし帰って来たんだよ。こっちおいで。チョコはしばらくすると気がついて、よろよろと寄って来てくれた。
「もう、チョコったらすっかりおじいさんやね。」
母と二人でおじいさんになったチョコを茶化してみる。だけど心の奥底では、いつかこうして来てくれなくなる日のことを考えていて、それはきっと母も同じだろう。わたしたち家族はチョコを幸せにできたのだろうか。お別れが近づいてきてから気づいても遅いかもしれないけれど、それでもわたしはチョコに謝りたいことが数え切れないほどある。

もっと動けるときに、思いっきり走りたかったよね。

チョコがうちに来たのはわたしが5歳の時だった。毛の色がチョコレート色だからチョコ。名前は兄が決めた。
チョコはとても神経質で、絶対にお腹を見せて寝ない子だった。家族に対して噛みつくこともあって、当時幼稚園児だったわたしはそんなチョコが少し怖くて、いつもリビングの椅子の上に逃げていた。
あるとき、わたしが乗った椅子がチョコのいる方に倒れた。間一髪、チョコには当たらなかったけれど、まだ子犬だったチョコはびっくりしていた。チョコごめん、こわかったよね、びっくりしたよね。母にはこっぴどく怒られて、それをきっかけにわたしは少しずつチョコと触れ合うようにり、噛まれそうになったら自分が手を引けば大丈夫だと学んだ。たまには避けきれずに手に歯型がつくこともあったけれど、それを怖いと思うことはなくなった。
そうしてわたしはチョコがのことが大好きになった。

チョコとはあまり散歩に行かなかった。週末にときどき公園に行くくらいで、毎日散歩に行っている他の犬に比べたらチョコは家の中にいる時間がとても長かった。久しぶりに外に出るとチョコはふわふわの尻尾をぶんぶん振って嬉しそうに走り回っていた。チョコが走るのに付き合うのは小学生のわたしで、一緒になって芝生の上を駆け回っていたことを覚えている。
父と兄がチョコの名前を呼んで、チョコが呼ばれた方に走っていって。家族みんなの中心にチョコはいた。帰り際、家の門の前でチョコはまだ帰りたくないと駄々をこねることもあった。今思い返すと、チョコは外でみんなと遊ぶのが好きだったのだと思う。
おじいさんになってからは外に出ても疲れて歩かなくなってしまったけれど、それでもチョコはいつも外を眺めている。外に行きたいのだろうか。ごめんねチョコ、もっと動けるときにいっぱいお散歩に行けばよかったね。もっと思いっきり走りたかったよね――――。

できなくなってから気づくことが多すぎて、チョコの寝顔を見るたびに謝りたいことが溢れてくる。ごめんね、チョコ。そして、我が家にきてくれてありがとう。チョコが最期の時に幸せだったと思えるようにいっぱい会いに行くでね。

窓際に置いてある自分のベッドで暖かい日差しにうっとりとしながら、今日もチョコは眠っている。