今、私は窮地に立たされている。
以前社宅で起こした漏水事故での賠償請求を、つい3週間前に突然言い渡されたのだ。
その額約300万円。払えるはずがない。
3年以上前の出来事であり、過失の時効は成立している。
ましてや退居して2年経った今の今まで、人事にも私にも社宅の管理会社から全く連絡はなかった。
水面下で続いていたらしい協議にしても請求内容にしても、正確な説明はないままいきなり交渉決裂の人柱として担ぎ上げられたということだ。
この示談そのものに不可解な点が多く、駆け込んだ第三者の弁護士先生には確実にクロだと言われた。
実際の被害は教えてもらえず、あまりに突然。しかも先方にはここで大人しく従わないともっと大きな金額になるぞと脅されている。
味方はいない。関係者は面倒ごとを避けたい一心で、300万円の妥当性を確かめることなく私が原因なのだから支払いはやむを得ないといった具合だ。
猶予はあと2週間。早くサインしろという空気の中、心も体もギリギリで踏ん張っているが、いつまでもつか分からない。
ただ一つ言えるとすれば、誰に何をされようとも私は不当な要求に屈することを絶対にしない。
例えそこに取引先とか利害関係があろうが、分別なんて知ったことか。
最後まで闘い、ものわかりのいい私自身を必ず変えてみせる。
協調性の美徳の下、しなくてもいい我慢を強いられてきた
思えばこれまでの人生、協調性の美徳の下しなくてもいい我慢を強いられてきた。
「女だから」「上下関係だから」「それがふつうだから」。
小学校のサッカーチームに性別が理由で入会を断られても反論できなかった。
大学の先輩に強要されたお酒や理不尽な要求を、突っぱねられなかった。
会社では、やりたくない幹事や、頼まれるいわれのない雑務を断らずいい子のフリをした。
気持ち悪い性的な言動、実際に体を触られたいくつかの場面でも、波風立てぬようへらへらとやり過ごした。
そんな自分が大嫌いだ。
集団に所属する一員として、規律を守ろうとするのは最低限のマナーだと思う。
だけど同調圧力で自らの信念を無理やり曲げさせられることは、理不尽以外何でもない。
日に日に、お行儀よくわきまえることを身に付けようとしている
悲しいことに、我慢は慣れの耐性を生む。
争うのはムダで疲れるだけだと大人な判断ができるようになる。
正直なところ社会人生活が長くなるほど、明らかに違うと感じても言い返せなくなっているのも事実だ。
仕事の立場上はペーペーだから、誰と戦ったって失うものなんてないけれど、結局は意思表示をすることで周囲から浮くのがこわい。面倒な人だと思われるくらいなら自分が我慢する方が楽だ。
そんな風に妥協する方がよっぽど自分をすり減らすのに、裏腹にもっと人に好かれたい、必要とされたい欲求が日増しにむくむく大きくなり、お行儀よくわきまえることを身に付けようとしている。
だから易きに流されそうな今こそ、聞き分けのいい自分をやめる。
不都合な事実は隠し、口八丁で他人に都合よく責任転嫁しようとする人間には、断固として応戦のスタンスを貫かなければならない。
まずは中途半端な自分を変える
私には有識者として文書で人を守るという夢がある。
自ら記録を残すのはもちろん、発生する文書をどのように整理し、残していくかを決める新しい専門職になるのだ。
文書を以て誰に責任があるのかを明らかにできれば、どんな悪事にも必ず対抗できると信じている。
そうなると現在進行中のトラブル関係者以上に、これから闘う相手はもっと大きく手強いはずだ。
だからまずは中途半端な自分を変える。
そして弱さを克服した私は、ペンという武器を手に社会を変えてみせる。