大学4年生の時、母校の高校で教育実習をさせてもらった。
私は高校時代、理数科に所属していたため、当時の担任らの計らいもあり、理数科の1年生の担任として2週間、かつての母校に通った。

進路についてのテーマが多いらしい総合の授業。私はしたくないと思った

2週間の教育実習では担当教科の他、担任となったクラスで1度は総合の授業を行わなければならなかった。
授業内容は生徒の考えを深められるテーマであれば「なんでもいい」と言われており、教育実習生の仲間がテーマを決めていく中、私はずっと決められなかった。

担任の先生からは、総合の時間は進路について考える時間に使うことが多いと聞いていた。
そのテーマは確実に生徒にとって役に立つテーマだと思う。
けれど、私は「今日は進路について考えましょう」なんて言いたくなかった。
昔散々先生から言われて憂鬱だった言葉の一つ。それだったら勉強してるほうがまだましだと思っていた。
将来の夢を語る同級生の発表を聞いて、やりたいことを見つけられない自分を嫌いになりそうだった高校時代。

同じような気持ちの子、いるのではないだろうか。
それに進路ってなんだ。
将来の夢は何か、その夢の実現のためにはどの大学に行かなくてはならないか、そこへ入学するためには何の教科を特に勉強していくのか…。
そんなことを1時間足らずの授業で考えて何になるのか。
高校受験を終えて数ヶ月足らずで、結局は受験勉強の話に行き着く授業づくり、私はしたくない。

それでも将来を考える時間は必要だ。
その時に将来の夢があろうとなかろうと、高校1年生だろうと大学4年生だろうと、同じ目線で一緒に考えられる話題はないものか。

先生にかけられた質問の答えに悩み、生徒に聞いてみようと思った

私も生徒たちも経験していない未来のことをみんなで話したい。
現実味があって、でも具体的すぎず、授業が終わった後も思わず考えてしまうような。

すっかりお手上げ状態になった挙句、深夜にぼんやりと自分が先生たちからかけられてきた言葉たちを思い返した。
「やりたいことを仕事にするのと仕事がやりたいことになるのと、どちらが幸せだと思いますか」
わからない。やりたいことも、働いたことも、ないもの。
どっちなんだろう。
どうやって考えれば自分で答えがだせるのだろう。
私一人じゃ到底わかりそうにない…。

じゃあ、聞いてみようか。私の授業を受けてくれている生徒のみんなに。

プリントに書いた一文。思いのほか生徒の食いつきが良く盛り上がった

教育実習最終日、6時間目。
私の配ったプリントに書かれた文は一文だけ。

「給料25万円のやりたい仕事と給料50万円の興味のない仕事どちらにつきたいですか」
将来やりたいことのために理数科に入った人も、理系科目がすきだから理数科に入った人も、入ってみたら他の事に興味が湧いた人もいると思う。
やりたいこと、すきなことがある人は、それが毎月25万円もらえる仕事になるとしたら、迷わずやりますか?

じゃあ、やってみたら楽しいと思えるかもしれない初めての仕事で50万円もらえるとしたら?
どっちが自分にとって幸せかもしれないと思いますか?

「質問です!」
教室のどこかから威勢の良い声が響いた。
「福利厚生ってどうなってますか?」
福利厚生、なんて言葉知っているのか。そっか、親御さんが会社員の家庭だと割と知っていることなのかなぁ。
うちは公務員の家系だったから、高校時代にそんなこと考えたこともなかったなぁ。

授業は担当教科の生物の実験よりも遥かに盛り上がった。
質問が質問を呼んで、絶対やりたいことやる方がよくない?と誰かがいえば、自分は飽きっぽいからな~、今やりたいことがずっとやりたいとは限らないじゃん、と誰かが答える。
昇給がなかったら25万円じゃ家族を養えなくなっちゃう、と考える人もいれば、上司を説得して50万円でやりたいことをやる!と言い切る人もいる。
色々な意見がでるのは、素直に面白かった。
もっとこの子たちのことを、一人一人を知って話がしたいと思った。

この子たちは、私が思っているよりずっと、社会のことに興味があるのではないだろうか。
学生の時、社会はそんなに甘くはないと大人に言われていたけれど、社会から学校を切り離して考えていたのは生徒たちじゃない、私たち大人だ。

私は生徒にとって行動の選択肢が増えるような教育がしたいと思った

私は、お互いに対等に話すために、知らないこと、わからないことを知ろうともがいている生徒を余裕で諭せるような大人にはなれない。
それでも、いつか。

生徒にとって生きる世界の選択肢が増えるような教育がしたい。
行動を起こすのはその子自身だ。
その前に私の授業で大いに悩ませてしまいたい。悩んで悩んで、そうやって人は自分以外の人のことを考えられる、優しい人になれると思うから。

私は今、大学時代に興味が湧いた業界の研究開発部で働いている。
小さな会社だから、1年目にして仕事内容だけはほぼプロジェクトリーダーのようなものだ。
現実はやりたいこと、やりたくないこと、両方やっても給料は25万円にも満たない、そんな細々生きているような人間だ。

今の生き方は悪くないけど、いつかまたあの授業ができるように…

今でもふと、あの6時間目の授業を思い出す。
どっちがいいのか私もまだ答えが出せていないけれど、今の生き方も悪くはない。
元来私は、経験できるなら何でもやってみたい人なのだ。
教員の夢も諦めたわけじゃない。

総合の授業のネタだって思いつくといつかのために手帳に記してしまうし、社会人になって「化学」の大切さを知ったから、化粧品や食品を授業中に取り扱って科学的な知見から解説したい。

今はまだ教員じゃないから、こうやって理想を語れるんだと思う。
理想と現実にはやっぱり埋まらない溝が少なからず存在する。
こうやって悩む時、頭をよぎるのは、一度くらい教員である父の授業を受ければよかった、ということ。
そこには私の気づけていない何かがきっとあるのだと漠然と思っている。