今から4年前、20歳の夏、私は大学の友人と千葉の海に行くことになった。そんな経験は初めてだったし、この日のために買ったお気に入りのビキニを着て、わたしは浜辺で集合写真を撮った。その写真が普段の自分からは考えられないほど魅力的に撮れていて嬉しくなった私は、早速それをインスタに載せた。

女をいつも持て余していたけれど、初めてなりたい女の子になれた

それまで私はなぜか「胸が大きいこと=淫らなこと」だと思っていて、自分の体をどう扱っていいかわからなかった。中学の頃は「新しい服買った!」と男の子にメールで写真を送ったら「パッド入れてるの?」と返信されたし、高校の卒業式では、ずっと好きだった男の子から「お前何カップ?」とLINEが来て、教えずにいたら「死ねブス」と残されブロックされた(あまりに不当)。胸が目立つのが嫌で、常に猫背気味だった。
その上普段は女として見られないキャラだから、どうしていいのかわからない。女として魅力的に見られたいけど、女として性的に見られると具合が悪くなる。「女」をいつも持て余していた。しかし、その時の海の写真は、健康的かつセクシーで、「なかなかイケるじゃん」と、初めてなりたい女の子になれたと思える写真だった。

それから1週間ほどして、バイト先に行くと、某ジャニーズのタレントさんに似ていると評判の先輩が
「あの、この前のインスタの写真見てさ、雰囲気ちがうな~って思って…めっちゃ、めっちゃいいね…!」と声をかけて来た。
要は、「意識してなかったガサツな女が意外とスタイルが良かったのでグッときた」ということだ。これまで私はいつも「女としては枠外」、のような扱いを受けることが多かったので、「女として見られる」というのはこういうことか、と思った。水着の写真一枚で、ここまで人は自分を見る目が変わるのか、ということに素直に驚いた。

「好き」を使われて嫌だった。先輩の褒め言葉が私には痛かった

しばらくして、私は諸事情でバイトを辞めることにした。すると、先輩が相談に乗ってくれるというので、サシで飲みに行くことになった。先輩から「うちで飲む?」と言われたけど、なんとなく察したり、考えすぎだと悶えた結果、私は「どうしてもバリバリ鶏が食べたい」と主張し、居酒屋で飲むことにした。
相談は早々に終わり、お酒が回ってくると先輩はわたしを口説き始めた。
「最近ね、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を改めて読んでさ、美人ちゃんって本当に黒髪の乙女みたいで、すっごいいいなって思ってる」
私の反応が薄いのを見ると、
「…自分を持っていて個性的でそういうところが好きだな…」
と、言ってくれた。だけど極めつけの「好き」を使われたのが、とてつもなく嫌だった。先輩の褒め言葉が私には痛い。全てが嘘ではないし、私には私の良さがあるとは思うけど、それがその場しのぎの言葉であることは伝わってきた。言ってはいけないと思いつつも、気が付けば私は自然と口を開いていた。
「たくさん褒めてもらってありがとうございます。でも、私先輩の好みじゃないと思うんです。これまでバイト先でもお話うかがってきて、先輩の歴代の自慢の彼女さん、ミスコンやモデルさんみたいなタイプだったと思うんです。確かに私の良さを認めてもらえるのは嬉しいんですが、それって、海の写真みたら意外とスタイルよかったからってだけですよね。個性的な女の子が好きって、いつもは王道がいいけど、たまには珍味もって思っただけですよね。あまり真剣なやつじゃないですよね」
と言ってしまった。
先輩はあまりに直球で来たことに面食らって、笑っていた。
「どうしてわかったの?いつから気づいてたの?」
「宅飲みって言われた時から…。考えすぎかなって思ってたんですけど」
「や、宅飲みは普通に家でお酒飲むだけだよ」
「他の娘呼んだときはどうなったんですか?」
「…膝枕をしてもらった」
「…膝枕は…私はしませんね…」

先輩は笑いながらご馳走してくれた。私は何も変ではなかった

膝枕の後の流れはお察しで、先輩はこうやって女の子を落としてきたのだった。
念のために言っておくと、これは「宅飲み=ワンナイトOK」の価値観を推奨するものではない。ただ、当時はMetooなども無かったし、私は起こりうることはできる限り想定し嫌な可能性は自力で排除しなくてならないと思いこんでいたと言うだけの話だ。
そこから「どこで下心に気が付いたのか」、「それに気が付いたうえで先輩のことが好きで、それに乗る子も多かったとは思う」、「少なくとも隠せてはいない」という話でひとしきり盛り上がったのち、先輩は最後に
「で…どう?」
と誘ってきた。少なくとも今までで一番わかりやすい。
私は、
「すみません、私今好きな人がいて。でも私はこういう形で先輩についていくことができないタイプだったってだけで。声かけられて嬉しいって思う子も他にいると思うんです。すみませんウブで」
と言った。
先輩は笑いながら居酒屋代をご馳走してくれた。当時の私は、ワンナイトラブできないのに奢らせるなんて申し訳ないと思っていたから、ひたすらに小さくなっていた。
私は何度もお辞儀をした後、早歩きで駅へと向かったのだった。

自分とは無縁だと思っていた人から、水着の写真をきっかけに声をかけられることがあるというのを私は知った。そして、あの時先輩についていけなかった私は何も変ではないことも、Metooが保障してくれた。いい時代だ。
身体の多様性が認められるようになったのも良い。自分の体の魅力を自分のものとして武器にできたらどんなに素敵だろうと思う。水着ひとつで見る目が変わるが、見る目が変わった水着の方だって、私なのだから魅力的ならそちらをセルフイメージにしたほうがいい。性的な魅力が「誘った」ことにならない価値観が当たり前とされる世の中になってよかったと思う。
その一方で、私はあの時先輩に直球で「いい体してるね」と言われたらそれはそれで不快だったと思う。オブラートに包まれたら包まれたでモヤっとしたけど。
今のところ正解は見つからない。ヒョコヒョコ何度も振り返ってお辞儀しながら高田馬場駅に帰らないでいい方法を私はまだ探している。