父は根っからの営業マンだった。
私が幼いころは働き盛りだったこともあり、平日は業務が終わっても遅くまで仕事のお付き合いで飲みに行ったり、夜遅くに会社の人を家に連れて帰ってくる日もあった。休日も(恐らく)対して興味のないゴルフや勤め先の人とのBBQによく行っていた。

家庭を蔑ろにしていた訳ではない。私も弟も分け隔てなく、惜しみない愛情を注いでもらっていたと思う。
ただ、母はどうだったのだろう。多くの人と交流をするのがあまり好きではない(ように見える)母にとって、父はどのように見えていたのだろうか。

長年付き合い、自分が大人になってようやく分かったのだが、父は自分の外面をとても気にする人だった。
「円満な家庭を持っている自分」「バリバリ仕事を頑張っている自分」というイメージを人に崩されたくないのだろう。

明るくて感じのいい人を演じる私は、本当は、人付き合いが大嫌い

そしてその父に私はとてもよく似ていて、他人には「ちょっと変だけど、明るくて感じのいい人」というイメージを持ってほしいと思っている。
ただ私が父と違うのは、本当の私は、人と付き合うのが大嫌いでお世辞にもいい人ではないということだ。

そんな私がある日、中規模の趣味の集まりを主催することになった。
同じように興味がある人から連絡がくれば逐一詳細を連絡し、困ったことがあると相談されれば解決方法を一緒に考え、時には自分の時間を割いて手伝う。
SNSを使って知らない人と繋がり、イベントの当日までに親睦を深めていく。
主催者の私が変な人間だと思われたら参加者が減るだろうから、あまり過激なことや批判などはしない。

誰にでも平等で親切な私を1年近く演じ、イベントが無事終了した。
多くの参加者は「細かいことにも気が利いて明るく社交的」な私に労いの言葉をかけ、私もそれに「自分の至らなさも認めることができる謙虚」な笑顔で応えた。

そしてイベントの熱も少し冷めた頃に、私は誰にも何も言わずにSNSのアカウントを停止した。

人との繋がりが増えるほど、いい人ぶってる自分が嫌になる

イベント当日の空間が楽しかったことは確かだけど、繋がった人の母数が増えれば増えるだけ、繋がっていたくない人が増えた。

フォローし合っていた人がSNSにあげる写真を見て「デブは見たくない」「加工しても救いようのないブス」「オッサンの女装とか目の毒」という言葉を飲み込んで、「可愛いですね!」と送る自分が気持ち悪くて仕方がなかった。
話が全く合わない人から送られてくる馴れ馴れしい言葉への返事に悩む時間が苦しかった。

何よりも、本質を押さえつけていい人であろうとする自分が嫌でたまらなかったから。

本当の私を受け入れてくれる彼らを、できる限り大切にしていきたい

「いい人の私」用のSNSをやめた日から、色々と自分の黒い感情を吐き出すようになった。

長い付き合いで性格の悪い私を知っている人は、それに笑いながら同じような温度でやりとりをしてくれる。
彼らは私のことをどう思っているのだろうか。例え捻くれ者だ、嫌なやつだと思われていても構わない。
こんな私と細く長く付き合ってくれているのだから、その人たちをできる限り大切にしていきたい。

それが私の片思いだとしても。