私はずっと、自分の体は恥ずかしいものだと思っていた。

他人になんて見せても、語ってもいけないような醜いものだと思っていた。

そして自分でも自分の体を極力見ないように、考えないように過ごしてきた。

自分の体の部分が正常な形なのか知りたくなり、産婦人科へ

そんな私が数ヶ月前、ふと思いたって産婦人科に行った。別に妊娠したわけでも、生理不順だったわけでもない。
普段見ようとしなければ見なくてすむような自分の体の部分を見て、
「自分の体ってこれで大丈夫?これって正常な形?」と不安になったからだ。
他人の体のその部分も見たことがなかったし、ふつう、そこがどんな形か私は知らなかったのだ。
(さらに私は、そんな正常か異常かも分からない自分の体を、赤の他人であるその辺の男の人に見せる勇気はなかった。)

そしてまず、私は産婦人科に着くと、適当に診察理由を並べた。すると意図が伝わったのかどうかは不明だったが、お医者さんは、エコー検査をしてくれて、
「あなたの体に悪いところはありませんよ。ふつうです。あ、ここが卵巣です。で、ここが子宮です。」とかなんとか解説してくれた。

産婦人科に行って、私は私の体が正常だと知れて嬉しかったし、自分の体がどんな風になっているのかを知れて感動した。

それと同時に、私って自分の体のことを何にも知らないなと思った。
そして思い返してみると、自分の体について語れてこなかった、タブー視されてきていた気がした。

自分の体について話したくて、誰か聞いてくれる人や場所がほしかった

そういえば小学生の時、保健の授業で女子だけが小さな部屋に移動させられて生理の話をされたっけ。
そういえば中学生の時、ブラジャーをどこで、どの大きさのを、どうやって買えばいいのか親に聞けなくて、分からなくて困ったっけ。
そういえば高校生の時、性についての授業の時、みんなが気まずそうに俯いていて、用語もテストで点数をもらうためだけに機械的に覚えてたっけ。

大学生になって、そういう自分の体について何か悩みを抱えたり、気になることがあっても、私には打ちあける人がいなかった。誰に打ちあけて良いのか分からなかった。

そう。
だから、私は産婦人科へ行ったんだ。

別に下ネタを言いたかったんじゃない。
ただ私は、自分について、自分の体についての話しをしたかった。誰か聞いてくれる人がほしかった。

妊娠したわけでもないのに産婦人科に行くことが恥ずかしいと言う人もいる。
「おっぱい」と言葉にすることや、性の話しをすることを恥じる人もいる。
でも、自分の体のことを恥ずかしいと思ってしまうなんて、それってとても、しんどいことじゃない?
だから、もっと気軽に、自分の体について、言い換えれば自分について、知れる場所、語れる場所があればいいのにと思う。

自分の体について話すことは恥ではないという空気を作りたい

「自分の体みたいなプライベートなことは、プライベートな空間(家庭内)で教わるもんやろ。」
と言う人もいるかもしれない。
でも、みんながみんな、誰かが相談に乗ってくれたり、教えてくれたりする家を持っている訳ではないと思う。

だから、私が学校教育の中での保健の授業を変えるなら、自分の体について話すことは憚られることでも恥でもないという空気を作りたい。
横に座っている○○ちゃん、○○くんと話してもいいんだって、思ってほしい。
そしてみんながもっと自分の体を、他人の体を知って、愛して生きてほしいと思う。
男女の性を分けて人間の体についての話しをしたくない。
「性」を「生」の中に位置付けて、模型や映像を使ってでも、たとえそれが「生々しい」とか「気持ち悪い」と言われても、それは「気持ち悪い」ものでも、見ないようにされたり、語られないようにされるようなものでもないと教えたい。
そういう「性」が人間が生きることに繋がっているんだと知ってほしい。

俯いていれば終わる授業ではなくて。