身長153センチのぽっちゃり体形。顔は丸顔で童顔。下がり気味の薄い眉毛に一重のつぶらな瞳。鼻が丸くて、唇は小さめ。
顔文字にすると、まさに(・ω・)←こんな感じだと言われる。
そんな容姿で声も高く、マイペースな性格の私は自分の意思に反して、昔からクラスのマスコット的存在だとよく言われた。

小学生の頃から今までずっと「ほんと天然だよね」「一緒にいると癒される~」「歩くマイナスイオン」と、男女問わずクラスメイトから数えきれないくらい言われた。
自分の何がクラスメイトを癒しているのか、どこをどう捉えると天然だと言われてしまうのか全く分からなかったし、クラスメイトを癒したいなんて1ミリも思っていなかった。
だけど、そこで真面目なトーンで否定するのも、「違う!そんなんじゃない!」なんて大きな声で叫ぶのも、なんだか違う気がして、褒めてくれるし喜んでくれるならまぁいっかと、「そうかな?ありがとう~」と笑ってその場を何度もやり過ごしてきた。
高校生になっても、『私=天然・癒し』のイメージはついて回った。もう作り笑いも疲れるし、“天然”っていい意味でも悪い意味でも使われる言葉だと知ったから、そのイメージからいい加減に離れてほしかった。
だけど、自分が強く否定しない限り、この思いなんて伝わるはずもなく。「天然だね」と言われてもあまり納得できなかったから、だんだん“天然”の消化不良を起こしていった。

「誰も本当の私を知らない」と不満を持つのが本当の私

高校卒業前にクラスオリジナルの卒業文集を作ることになり、それに絵の上手な子が全員の似顔絵を描いてくれた。文集完成後、ワクワクしながらページを捲ると私は衝撃を受けた。大半の友人は制服や部活のユニフォームを着た姿が描かれているのに、何故か私は着ぐるみを着ていた。
描いた本人に理由を聞くと「いつも癒されてたから。10分の1サイズのマスコットにしてカバンに付けたいね~ってみんなで話してたからやっぱり着ぐるみしかないと思って!」と、彼女は笑った。
そんなに楽しそうに理由を話されたら、私も部活のユニフォーム姿を描いてほしかったとは言えなかった。

そう言うみんなは本当の私を知らない。
「怒ったことないでしょ?」って言われるけど、怒りの沸点は低い方だと思うし、頭に血がのぼるとカーッとなって、ついモノに当たってしまう私は物騒な人間だ。この癖は本当に早く直したい。
「いつもニコニコしてる」なんて言われるけど、喜怒哀楽は激しい方だし、家族とも喧嘩だってよくする。私は頑固で怒ると怖いし(家族談)、相手にされた嫌なことはしばらく根に持つタイプの人間だ。

「天然」をポジティブには捉えられなかったはずが…

ある時妹が、「お姉ちゃんって猫に例えるとたばこ屋で飼われてそうな猫だよね」と言ってきた。
何、突然。と思ったが、それより普通例えるなら三毛猫みたいとか、マンチカンっぽいとかそういう種類で例えない?そして私の勝手な印象だけど、たばこ屋の猫ってまるまる太った、ちょっとだらしない感じがするんだけど。私は怒りの沸点が低い(と自分では思っている)ので、妹の例え話に少しキレそうになっていた。
すると妹は「違う、違う。お姉ちゃんは親しみやすいってこと。たばこ屋で飼われてる猫って看板猫で、お客さんにも店主にも愛されてるんだよ。醸し出す雰囲気とか、顔から親しみやすさが溢れてるの、お姉ちゃんは。」
直前まで怒っていた私だったけど、妹の説明がなんだか可笑しかったのと、その「親しみやすい」という言葉がすっと胸に入って怒りの気持ちはどこかに行ってしまった。

確かに今まで実年齢より年下に見られてばかりで初対面の年下にもタメ口で話しかけられたり、旅先でも観光客なのに道を聞かれたりカメラマンを頼まれたり、どうして自分ばかりこんなになめられるんだろう、とモヤモヤしていた。「天然」と言われても自分が納得できなかったのは、その「天然」という言葉の裏に私のことを軽くみなしている友人も少なからずいたからだったんじゃないかと思う。
「みんな、本当の私のことなんて知らないくせに。」
何度もそう思った。
だから周囲からなめられがちな私だけど、「親しみやすい」とそれは紙一重なんじゃないかと妹の言葉でそう感じた。

すぐタメ口で話しかけられるような私だけど…

私のこの容姿と纏っている雰囲気のせいで、年下にもタメ口で話しかけられるけど、そのおかげで小さな子供からは好かれるし、おばあちゃんにもよく信号待ちで話しかけられる。こないだは、職場のビル内で働く掃除のおばちゃんが飴玉をくれた。
そしてそのおかげかは分からないけど、1人で3泊4日の京都旅行に行ったときには私より少しお姉さんな友達が出来た。彼女とその旅行中一緒に過ごせたのは約1時間弱。ほんの少ししか話す機会が無なかったけど、今も月に一度LINE電話をするくらい仲良くなれた。
彼女と恋とか仕事の話をすると、いつも見えなかったことに気付かされるし、私も頑張ろうと刺激を受ける。住む場所も違うし、している仕事も年齢も違う、そんな彼女と旅先で偶然友達になれて本当に良かったと思う。
話しかけられやすい私でよかった!!!

今まで「天然」と言われることにずっと違和感しかなかったけど、それも私の容姿や纏う雰囲気、言動からそのように見えているのならそうなのかもしれない。少しずつ周りから言われる言葉を自分の中でもかみ砕いて受け入れられるようになってきた。少しは大人になったのかな、なんて。
これから私はどんどん年を重ねていく。本当の私もどんどん変わっていくし、自分自身だって私のことを100パーセント理解できているわけじゃない。
怒りの沸点が低い頑固な私も少しずつ見せていこうかな。「天然」なところも「親しみやすい」ところも大事にしながら、新しい自分を見せていきたい。
約50年後、自分のおばあちゃんくらいの歳になったときに、たばこ屋で飼われる猫のように周囲から愛される、愛嬌ある可愛いおばあちゃんでいれたらいいな。