恋する女の子の可能性は良くも悪くも無限大だ。誰かの為に綺麗になりたいという気持ちは、自分を大きく成長させてくれる。

初めて抱いた恋心は私をかわいくした

私が彼に出会ったのは、3年前の4月だった。中高一貫校に通っていたため、生徒の顔ぶれも先生たちも特に変わることなく、私は高校一年生になった。唯一変わったことは、制服のリボンが赤から青に変わったことだけだった。

いつもは数人しか入ってこなかった新任の先生が、その年は13人も加入してきて驚いたのを覚えている。私のクラスで化学を担当することになった先生は、その中の一人だった。

いつだったか具体的には覚えていないが、私は少しずつ彼に惹かれていった。彼を見ていると心が弾む。彼が近くに来るとドキドキする。今まで自分の中に存在していなかった新しい感情だ。

恋愛ソングを聴いていると、いつの間にか彼と重ね合わせてしまう。1日の内のたくさんの時間、彼のことを考えるようになった。

「今何してるのかな」「私のことは覚えてくれたのかな」「彼は私が赤リボンだった頃を知らないんだよな~」「彼はどんな風に生きてきたんだろう」など、たくさん考えた。

この気持ちを恋だと自覚するのに、そう時間はかからなかった。恋をした私は、自分の容姿にも気を使うようになった。学校に居る時、いつどこで遭遇しても良いように、そして、彼にかわいいと思ってもらえるように、始めて校則に反してリップを塗ってみたり、靴下を下げてみたりした。

実らなかった初恋のおかげで、自分の心に持つ色がたくさん増えた

先日、SNSで「ルックスを自分の中で最高にしておけ、それが自信につながる」という言葉を目にした。思えばあの時の私は、まさにこの状態だったんだと思う。

当時よく食べていた市販の豆乳ヨーグルト。今食べると懐かしい味と共に、彼のために綺麗になりたいと強く願っていたあの頃の自分を思い出す。

6月のある日、初めて彼に「勉強を教えて下さい!」と声をかけた。その日の記憶は今でも鮮明に覚えている。

長いまつげ、ふさふさの髪、綺麗な輪郭、新しい発見がたくさんあった。初めてたくさん話すことができて、心が溢れそうなくらいうれしくなった。その他にも彼と話した言葉、勉強を教えてもらった時間は今でも大切な思い出だ。

高2になり、私は文系に進んだので、それ以降彼と話す機会はなかった。廊下ですれ違ったら軽く会釈するくらいで、高3は新型コロナウイルスの影響でさらに校舎ですれ違う回数も減り、そのまま卒業した。実ることがなかった私の初恋だ。

あの時の私は、自分のことをすごく理解しているつもりだった。

今振り返ると、あの時はまだ15年しか生きていなくて、理解しているつもりになっていただけで、本当の自分や自分自身については分かっていなかったと思う。

でも、彼と出会えたことで、自分の心に持つ色がたくさん増えたと感じる。うれしい気持ち、私の語彙力では表すことの出来ないほどの温かい気持ち、後悔する気持ちや頑張ろうと思う気力など、彼に教わったことはたくさんだ。

もう彼とは2度と会うことはないけれども

自分とは、自分自身が成長させるものだと思っていた。しかし実際は他人が自分をを成長させてくれるものであり、だから人間は一人では生きられないのだ。恋をすることで、人は見た目も精神的にも大きく成長することができるのだ。

そして、恋をする中で、たくさんの壁と衝突し、時に自分を見失いそうになってしまったり、涙がこぼれそうになってしまうこともある。私自身、彼が他の生徒と話しているのを見たり、「私も彼が好き!」という生徒を見かけた時、すごく自信をなくしそうになった。

綺麗になりたい。どうして私は私なのだろう。そう思った。

人を好きになり、その気持ちを抱きながら自分らしく生きることは、簡単そうに見えて凄く難しい。一途に人を思うことは、強い意志が必要であり、その気持ちは凄く脆くて、些細なことで簡単に崩れてしまう。

恋愛がうまくいっても、そうでなかったとしても、抱いた気持ちと意志は今後の自分の人生の大きな糧になると私は思う。

高校を卒業し、もう母校に行く予定はないので、もう彼と会うことはないのかも知れない。

でも何かの運命で、いつかまた彼に会う時があったら、その時は自分の中の最高のルックスで、とびきりの笑顔で「こんにちは!」と声をかけたい。

来るかもわからない未来に期待を抱き、私は大学生として新たな一歩を踏み出す。