「この中で一番普通だね」
この言葉は、高校生のときに言われた。
5人グループで遊んでいて、もうすぐ卒業だし、ちょっと昔を振り返ってみようというような話の流れだったと思う。

変人と呼ばれなくていいな~くらいに思っていたかもしれない

確かに、私を除いた4人のキャラは濃かった。
いつも話題の中心にいる可愛い子。
見た目は美人なのに強烈なマシンガントークをする子。
物静かだが毒舌でなぜかモテる子。
なんか筋肉モリモリのやつ。

そんな中で私は大して可愛くもなく、大した面白い話ができるわけでもなく。
強いて言えば勉強はできる方だったが、それはただ努力をした結果だ。逆にそれは「真面目」というイメージを生んでしまっていたであろう。
(真面目=つまらないとは今は思わないが、当時の私にとってはそうであった)
少人数や大人しい人たちの中だと比較的おしゃべりなのだが、なんせこのメンツ。
私は静かで真面目な子であり、それを気にしていた。

そんな中で言われた「一番普通だね」。
言った本人に悪意はなかったのだと思う。
変人と呼ばれなくていいな~くらいに思っていたかもしれない。

でも「普通」って個性がない、面白くないということだとも言えないか?

珍しいことばかりをする私は、「個性的」であると感じる

それから大学に入学した私は「個性」を探しに行った。

派手な色に髪を染めた。
周りが給料の高い家庭教師や塾講師のアルバイトをする中、私はアパレルやアクセサリー販売、学童など、みんながやっていないようなアルバイトをした。
「このキャラクターといえば私」と思われるように、キャラクターグッズをたくさん身につけた。
トーク力を磨くべく、たくさん情報収集をし、人を楽しませる会話の回し方を考えた。

そして私は個性をたくさん身につけた。
大学の友達は大人しめだから、珍しいことばかりをする私は、「個性的」であると感じる。

「見た目に反して行動的だね!」
「そんなことしてるんだ!高校生の頃とは違うね」
この言葉たちがとても嬉しい。変人と呼ばれることが好きであるくらいだ。

そんな私は無理している、取り繕っていると思う人もいるであろう。
私はそうは感じない。
高校生までの自分はやりたいことがあっても、周りの目を気にしてばかりであった。

他人の個性や評価なんか、気にしないで生きていけるようになりたい

今の自分はやりたいと思ったことはやっている。髪は染めたいと思って染めた。
アルバイトは「珍しい仕事」という枠で探しがちではあるが、役に立っているし、自分に合っていると思う。
キャラクターものは好きであった。
もともとしゃべるのは好きであった。
つまりは本来の私が出てきたのだ。私は個性が「なかった」わけではなく、今まで「押し殺していた」のだ。

もうすぐ新年度である。そんな私は卒業をして、大きく環境が変わることになる。
次の環境を少し覗く機会があったが、みんなおしゃべりで、一芸に秀でていて、憎めない天然で。なんだか「個性的」な人が多かった。
不安の波に襲われる。高校生の日々を思い出し、思わず涙が流れる。

本当は、他人の個性や評価なんか気にしないで生きていけるようになりたい。
だがそんな勇気は高校生のときも、今も、持ち合わせていない。
新しい環境で私はまた「普通」に戻るのであろうか。それとも今は表面化している「個性」が踏みとどまるのであろうか。フュージョンして新たな個性を獲得するのであろうか。
不安でたまらないが、受け入れるしかないのであろう。