同居する彼が映る画面。羨ましくて仕方なかった

高校の部活で一緒だった同窓生たちとのオンライン飲み会。男女7人の小さな集まり。みんな社会人になったからか、ちょっと大人びてみえた。
夜遅くに始まった緩さもあって、画面からはなんとなくそれぞれのプライベートな感じが漏れていた。途中でお風呂に行く人や寝癖がついたままの人もいた。一人は同じ部屋で過ごす弟が受験生だからと音声を切ってチャット参加だったりと、気心が知れているからこそ自由な会だった。

急に、主催してくれたAちゃんがミュートだけしてちょっと席を外した。なんとなくAちゃんの枠を眺めていると、戻って来た彼女の後ろをさっと男性が通った。しばらく肩越しに会話をしたと思ったら、彼女の隣に立って夜食の支度を始めた。
Aちゃんはキッチンから参加していて、それはてっきり飲み会用のおつまみの準備のためだと思っていた。
ミュートが解除されて、同居人ですと簡単な紹介があった。彼女と同じ職場の先輩で今帰宅したばかりらしい。みんなでちょっと冷やかしまじりの挨拶して、その後は画面に映る同居人の違和感に気づかないふりをして思い出話をした。

みんなの恋愛話や仕事について2時間ぐらい盛り上がって、日付を少し越えて次の約束を何となく決めて、あっさり解散になった。
楽しかった気持ちと懐かしさに浸りながら、私は眠れなかった。
Aちゃんが羨ましくて仕方なかったからだ。
飲み会の最中、Aちゃんはキッチンから場所を移して参加した。ダイニングテーブルの、右隣に同居人の肩とお箸を持った手が見切れている位置。並んで座っているのかな。いいな。
私はそればっかり気にしてしまった。時々彼女の目線がカメラから外れて緩んだ目で恋人を見ているのがわかった。

恋に恋する私。人の恋愛に羨ましさを抱いてしまう

恋人ができたことがない。人からそういう好意をもらえたこともない。
そんな私は時々、人の恋愛に羨ましさを抱いてしまう。いいなと思いながら、23にもなってそんな「恋に恋する」気持ちを人に相談するのも恥ずかしくてできない。勇気を出して相談しても、かわいいから大丈夫だよ、で終わり。すごく悲しい。会話の中にある恋人がいない人はかわいそうみたいな雰囲気も嫌だ。

Aちゃんにとって、夜の11時は一緒に住んでいる恋人との夜食タイムなのだろう。それが彼女にとって日常なのだ。だからそんな考えは微塵もないはずだけれど、私はついついオンラインで恋人自慢をしたかったのかと邪推してしまった。だって、オンライン飲み会の言い出しっぺはAちゃんだった。大きな冷蔵庫のある二人の部屋で愛情を育み合って幸せそうだった。お皿をどっちが洗うかのじゃんけんまで見せつけてくれた。

人と比べる幸せなんてくだらない。そう思いながら羨ましい。
あまりの羨ましさに、オンライン飲み会にも参加していた元・気になる人にLINEでずっと好きだったと送信しようかと思った。
マッチングアプを再インストールして誰でもいいから会ってみようかとも思った。
でもどっちも違うなと思った。そういう勢いで上手くいったとしても自分の欲しい幸せはきっと得られない。

つまり私は愛されたい。愛されていると感じたい

定期的に起こるこの「恋人がいる人が羨ましい」現象は、自分が満ちていないからだと思う。冷静になれば付随するものはあったとしても、恋人の存在で幸せなんて測れない。測るものじゃない。だから羨ましさはそこではなく、愛されているオーラが溢れていて隠そうともしないAちゃんに対して感じてしまったのだ。

つまり私は愛されたい。愛されていると感じたい。
でも、そこまでわかっていても羨ましい。同時に彼女の自慢の仕方がいやらしいからちょっと腹が立ってる。
こういう気持ちを繰り返して、恋愛経験のない私は自分なりの折り合いをつけようとしているのかもしれない。

いつか本当にそういうのに左右されないと心から言える満足を見つけてやる。
それに恋人から愛されたいだけじゃ駄目だ。自分も相手を愛さないと。
知ったかぶってるだけだけれど、幸せなんて絶対に人と比べるものじゃないのだから。