「このトークルームを削除します。よろしいですか?」という表示。迷わず、削除を押す。
 私は、一体何回この行為をすれば気が済むのだろうか。そして、この行為に何の意味があるんだろうか。

「私はあなたに未練はありません」というフリをして自分を偽る

私がこの行為をするのは、好きな人から返信が来なくなった時。この時の私の気持ちはいつも好きな人で埋め尽くされている。もしかしたら返信来ているかもと期待して、いつもより増してアプリを開き、変化のないトーク履歴に落胆する。これを何回か繰り返して、「私はあなたに未練はありません」という自分の意思表示として、トーク履歴を消すことにしている。

でも、本当の私は未練たらたらで、ずっと好きな人のことを考えている。何かの手違いでトークを受信できないだけじゃないかとか、トークが届いていないんじゃないかとか思って。YouTubeで「好きな人から連絡が来る音楽」とか聴きながら、コメント欄を見て、私も数時間後来るかもしれないっていう想像だけを膨らませていて。
でも実際、来たことは一度もない。

私の見せ方。「フリをする。」ということ。ずっとずっと偽りの自分しか見せていない。
「どうしたらこの人が望む人であれるのか。どのような人が好みなのか。どうすれば、その人は私の方を見てくれるのだろうか。」
そんなことばっか考えて、偽りの自分を演じている。偽りの自分を見せて、相手に好かれるのならいいけれど、結局、捨てられてしまう。きっとどこかでボロが出ているのだろう。

「偽りの自分、フリをする自分」が本当の自分なんだ

じゃあ、偽りの自分、フリをする自分を辞めたらいいのではと思うのだが、どうもできない。傷つく度合いが違うから。「今までの自分は本当の自分じゃなくて、偽りの自分だから次こそは自分らしく接して...。」と自分に言い訳をしていたいから。でも、そんなことを言ってばかりで、年数ばかりが経っていった。インスタを見れば、二人の幸せそうな写真があげられているし、街を歩けば、二人で楽しそうに買い物をしている姿、ご飯を食べている姿が目に付く。私はいつまで、一人で出かけているんだろうと思いながら、また思っていないフリをする。変に強がってみる。

本当の自分って何だろう。考えて、考えて最終的に至った結論は「偽りの自分、フリをする自分こそ本当の自分」ということである。いつの間にか、こう生きるようになって、頭がフリをする自分でないと対応できなくなってしまっている。フリをしている自分が他人にどのように見られているのかはわからないが、少なくとも続かない時点で良い風に見られていないだろう。

「本当は会ってサヨナラを言いたかった。ありがとう、サヨナラ」

ここでふともう一回考えてみる。フリをする自分が自分であるならば、フリをすればいい。今自分は、「未練がないフリ」をしてトーク履歴を消した。本当は未練たらたらで、泣いているのにも関わらず。
じゃあ、今日くらい「未練があるフリ」をすればいいじゃないか。「未練があるフリ」ってどうするんだろう。そう考えてみると今までしたことがないからわからない。もう十分傷ついているのだからさらに傷ついても大したことはない。だから、今日は初めて「未練があるフリ」をしてみよう。フリをしていても未練があるというのは自分の本心である。そして私はトーク画面を開ける。

「大人になるにつれてサヨナラを言えないまま、サヨナラをすることが多くなるね。私は別れるときは、サヨナラを言いたい。本当は会ってサヨナラを言いたかったけど、それは叶わなさそう。だから、ここで言うね。ありがとう、そしてサヨナラ。」

相手にブロックされていたら届かないけど、届いていたらいいな。
届いてなくてもこの文章を読んでくれたらいいのに。結局、最後まで私はフリだった。