「あなたの話し方ってなんか癪にさわる。女の人はあなたのこと嫌いだと思うよ。え、今まで言われたことない?」
自分の性格の一部である話し方。私の話し方は、声が高くて直球で、高圧的で、癪にさわるらしい。28年間生きてきて、誰かにこんな風に言われたことは一度もなかった。
話し方を否定された時、私は自分を全部「否定」されたように感じた
確かに私は、小さい頃から声が高かった。また、話し方には今までの自分の人生が詰まっていると思う。
父も母も人前で話す仕事だったのもあり、ハキハキと要領よく話す。また、理系大学出身で、周りに男子が多く、女友達も直接的な言葉を使う子が多かった。そこでは、ストレートな物言いが好まれ、回りくどい言い方は嫌煙されていた。私は自然と真っ直ぐな言葉を選ぶようになった。
仕事では営業職をしていた。自社の売り上げを上げるための提案を、先方にいかに納得してもらうかが重要となる(もちろん相手の会社のためになるのが前提だけど)。 そのため、話をわかりやすくまとめること、相手の話を聞き、ここぞというタイミングで提案することが重要だ。私は、さらに要点をまとめて話すようになった。こんな歴史があり(歴史というと仰々しいかな)、私の今の話し方は少しずつ作られていった。
話し方を否定された時、私はこの自分の歴史を全部否定されたように感じた。話し方が変わると、性格まで変わる気がする。私って…なんだ?
その日から、この言葉は呪いの様にまとわりついた。何か話そうとするたびに、言葉に詰まってしまう。また嫌われるかも、と思ってしまう。そして、私は自分の意見をうまく言えなくなってしまい、会社では上手く呼吸ができなくなっていった。
「その人の感覚なんてあてにならなくない?」友達の言葉に救われた
その後も、先輩から同じようなことを何度も言われ、日に日に気持ちがすり減っていった。ただ一人の意見に過ぎないのに、それがみんなの総意のように聞こえて、他人の目が怖くなった。
会社に行って、また心を消耗するのが嫌で嫌で、毎日お風呂の中で泣いた。日曜は特に眠れなくなった。会社に向かう電車で、胃が胸の辺りまで上がってくるような、気持ち悪い感覚が毎日した。もう限界に近かった。
ある日、友達から電話が来た。限界に近かった私は、その子に気持ちをぶちまけた。そうすると、その子は丁寧にそれを受け止めてくれた。そして私に「それって、受け取る方の感覚でしょ?私はあなたの話し方好きだし、人をそんなに追い詰めてる人の感覚なんてあてにならなくない?」と言った。
私は涙が止まらなかった。当たり前のことかもしれないが、そっかみんなが私のこと嫌いなわけじゃないんだ、と思った。電話が終わった後は、空気が少し吸いやすくなっていた。
先輩が嫌いと言う私の話し方を「好き」と言ってくれる人がいる
それからは、先輩に何か言われても、以前よりは気にならなくなった。もちろん、言われるたびに胃が痛くなり心は傷つく。しかし、先輩が「嫌いだ」というこの話し方を「好きだ」と言ってくれる大事な子がいる。
私は私のままで、自分が大切な人が好きだと言ってくれるところはそのままで、自分が必要だと思うところだけを変化させていこう。
今の自分のままでといっても、先輩の前では少し抑え気味で、これからも自分を魅せていきたいと思う。