「あなたには隙がない」
 折に触れて母が言っていた言葉。私は大学生の頃、口癖のように「彼氏ができない」と言っていた。そのたびに言い聞かされた言葉。

 どうやら隙がないと、「私は男なんて必要ないのよ」と言わんばかりに見えるらしい。
ちょっと抜けているところがあって、頼ってくれる子。世の殿方はそういう女性が好きな人が多いらしい。

 これはなにも、自分より劣っている女の子のほうが付き合いやすいということではない(そういう人もいるが、母が言いたいことには当てはまらない)。男女の関係に限らず、誰にだって誰かを助けたい気持ちがある。助けや協力をする余地のある人のほうが近づきやすいのは、自然の心理だ。

 今ならよくわかる。でも、隙の見せ方がわからなかった。

隙を見せることは弱みを見せること。私はその考えのまま大人になった

 隙を見せるのは難しい。隙を見せるということは、相手に弱みを見せて、いじめのネタを提供することを意味したからだ。

 私が思春期だった2000年代は、いじめや不登校がどんどん増えた時代。クラスに一人は心の問題で学校にいけない子がいるのは当たり前。いじめる子にはいじめ返さないと、居場所を失いかねない。いじめは誰にも助けられない。だから、嫌がらせを受けないように完璧を装った。

 いじめっ子がテストで悪い点を取ると、「そんなに低い点数、見たことないわ~!」とマウントを取って打ちのめしたり、「いい子ぶりっ子」と言われれば「いい子だから仕方がないでしょ」と言い返したり。そんなことを言えばヒートアップするのは目に見えているのに、不器用な私にはそれしかやり過ごす術がなかった。

 とうとう、いじめや嫌がらせを波風立てずかわす術を知らないまま、大人になってしまった。

隙だらけの恋人ができた。彼はいろんな人に可愛がられていた

 隙を見せない生き方が通用しなくなったのは社会に出てからのこと。

 社会に出れば自分よりも仕事ができる人はゴロゴロいる。キャリアが違うのだから当たり前だ。運悪く最初の会社は体質が古く、「若い女の子」は仕事が未熟であることも相まって、何かと軽んじられた。

 お茶汲みは当たり前、今後のキャリアの心配を話しても、「結婚したら辞めるから心配ない」と言われ、その都度「私はそうとは限らない」と言い返していた。

 そんな強気の態度が快く思われなかったのか、だんだん味方を失っていった。

 その頃、隙のない私にも恋人ができた。彼は私とは正反対で隙だらけ。遅刻はするし、すぐに疲れたと弱音を吐く(彼の名誉のために補足をすると、今は遅刻癖もなくなり、簡単に疲れたとは言わなくなっている)。

 年下ということもあって、助けてあげたい気持ちをくすぐられて好きになったのだと思う。人の懐に入るのがうまい。いろんな人に可愛がられているところを見ると、いいなと思い、少しずつ隙を見せることを彼から学んでいく。

 そしてのちに、私の隙を一番理解して、助けてくれているのが彼であることを知ることになる。

「僕の入る余地も少なくなって寂しい」。私は一人で頑張ろうとしていた

 会社の体制に思うところがあり、転職をした。転職先ではもう少し「うまく」やろうと思い、なるべく柔らかい態度を心がけた。少し自虐ネタを混ぜ、楽しい気持ちや喜びの感情はなるべく大きく見せるように心がけた。「隙」を見せる方法はわからないけれど、このように振る舞えば、ゆとりのある人に見られるのではないかと思って。

 女性も活躍できている会社なので、若い女性であることを理由にバカにする人はいなかった。それでも、どんな環境にも、私のささやかな尊厳を踏みにじる人はいた。

 そんなときに強気な態度を見せるのは得策ではない。目上の人に学生の頃のように言い返していたら、立場が危うくなることは自明のこと。発言力を増さないと、悔しさとの戦いは減らないだろうと考えた。

 とにかく職場での発言力を身につけるべく、身を粉にして働いていた頃、彼から「町中華さんは他人の入る余地がない。最近僕の入る余地も少なくなって寂しい」旨のLINEを受け取った。

 毎週会っていたのに寂しい思いをさせたのか。私が一人で頑張ろうとしていたからだ。ごめん。多分、母の「隙」という言葉と、彼の「余地」は同じだ。何事も一人で抱え込む癖があって、自己解決してしまう。なまじ学生の頃、成績が良いことを武器に渡ってきたこともあり、なんでも実力をつければ解決すると考えていた。

 そういうところが隙のない人物像を作り上げてしまった。「もっと仕事のできる人」を目指すことにしか、生き残る道を見出せない自分がとっても苦しかった。この苦しみに気づいたのは彼の「余地」という言葉があったから。やっと、「隙を見せるのが下手くそ」という「隙」を彼に打ち明けることができた。

「隙を見せるのが下手くそ」という隙を見せることが私の見せ方

 まどろっこしい言い方だけれど、隙を見せるのもひとつの技術。それを見せるのが下手くそであるということは、私にとってもはや一つの「隙」になってしまったようだ。

 彼は以前から折に触れて、悲しいときは悲しく振る舞えば良いし、自分から助けを求めればみんなが助けてくれるという旨のことを言っていた。隙を見せるのが下手な私に、もっと甘えて良いんだというメッセージを送り続けていたわけだけれど、やっぱり難しい。

 彼は、それも最初からわかっていたのか、最後には「そのままでいいと思うよ」と言った。それでもやっぱり変わらないと辛いな、とは思う。頑張って甘えるわ。頑張ってやることでもない気がするけれど、私にとっては努力の要ることだ。

 実は、「隙を見せるのが下手くそ」という私の「隙」を知っている人は他にもいる。それは、目上の女性だ。

 職場にもプライベートにもそういう女性がたくさんいて、私が何に困っているのか声に出さなくても、助けてもらったことが度々あった。私と同じような悩みを抱えていた過去があるから分かるのか。直接聞いていないからわからないけれど、「隙を見せるのが下手くそ」な私なりの「隙」があるから助けてもらえたのだと思う。

 ありがたい。私にもそんなふうに誰かを助けられる日が来るのだろうか。

 今のところ、「隙を見せるのが下手くそ」という「隙」を見せるのが、不器用な私にできる精一杯の、私の見せ方、見られ方である。