「お母さんみたいだよね」は27年の人生で一番言われた第一印象だ
「お母さんみたいだよね」
この言葉、私がこれまでの27年間の人生の中で、私自身の印象として言われた言葉大賞を軽々と受賞するだろう。
しかし、私はまだ母親になったことはないのだ。何なら4人兄弟の3番目という、兄弟という組織の中で要領よく甘えることを許される立場だった。
それでも、小学4年生くらいの頃からすでに「お母さん」と言われ始めていたかもしれない。歳下の子はもちろん、10歳以上も年齢が上の方にまで言われる始末だ。
言われ始めた当時は思い当たる節が全くなく、生まれながらに兄と姉に甘えることを許されている権利を、振りかざして生きていきたいとさえ思っていた。
家の中で兄弟喧嘩が行われると、真っ先に権力者である1番上の兄につき、兄と私、そして末っ子の弟が手を組んで、2番目の姉と戦うのだ。幼いながらに、小さい組織の中で最も権力を持っているだろう、1番上の兄の味方につく術を身につけていた。
末っ子で甘えたがりの私は、外にでるとなぜか「お母さん」になってしまう
しかしながら、家から一歩外に出ると、なぜか「お母さん」になるのだ。なんだかむず痒いような、モヤモヤする違和感を胸に抱えたまま、小学校生活の後半戦を戦い続けた。
その頃には私は自分のなかの甘えたい、無条件に可愛がられたい、素直な気持ちを突き通すような「幼心」に、マンホールほどのしっかりした重い蓋をしてしまっていた。
友人に甘えることや、悔しい気持ちを表に安易に出すようなことは、お母さんはしない。できないことなどない。そう言い聞かせるように、自分の中のじぶんが周りの期待に応えようと、肥大化されていくばかりだった。
中学生になった頃には、私のお母さんキャラは確立されていた。部活の顧問の先生にさえ、大賞受賞の言葉を言われる。嫌な気持ちはしないが、元々老け顔の顔がより一層、心と共に老けていくような感覚はあった。同級生のキャピキャピする姿は、夏の雲ひとつない晴れた日の太陽が、満タンのプールの水を輝かせるに等しいキラキラとしたもので、直視するのは目にも心にもよくなかった。
それは高校生になっても加速する現象で、同級生の友人たちと一緒になって遊んでみても「またそんなことして~」なんて、発言までお母さんになった。部活の後輩から甘えられることは嫌な気はしなかったが、可愛げのある声で「センパーイ」と呼ぶ屈託のない笑顔に、私にはこんな可愛げのある甘え方はできないのだろうと嫉妬心さえ覚えた。
しかし、そんな私にキャラ変するチャンスが舞い込んだ。地元から離れ、隣の県にある専門学校に通うことが決まったのだ。地元の友人はほとんどいない、新たな環境に心高鳴り、お姉ちゃんになんでも許してもらえるような、妹キャラになろうと試みた。
新天地で「お母さん」からの脱却をはかった私だったけど…
新しい土地、ということもあり、分からないことが多かったために、新しくできた友だちには頼らなければならないことがどうしても出てくる。それを利用して無条件に可愛がりたくなるような、ミスをしても笑って許してもらえてすぐにフォローしてもらえるような、甘えられる自分を思う存分全面に出した。
しかし、結果的には卒業の頃にはクラス全員の「お母さん」になっていた。肝の座った、簡単には動揺しない、肝っ玉母ちゃんだ。
みんなが慌てふためきながら課題に取り組むなか、終わっていないのに妙に落ち着いてみたりすることが多かったが、たまにとんでもなく慌ててありえないようなミスをすることもある。その、妙に落ち着くことのできる自分も、ありえないようなミスをしてしまって泣きべそかくような自分も、きっと本来の自分だ。友人と居る時は落ち着いていて、なんでも受け止められる大人な自分になる。
しかし、家族と会えば一瞬で幼い自分が全面に出てくる。20年の人生で、そのどちらの自分にも折り合いをつけることができた。自分が見せたい自分も、見られたくない自分も、見られてしまう自分も、全てとうまく付き合って可愛がることでバランスをとっていくのだろう。だから、今は「お母さんみたいだね」が私を強くしてくれる言葉になった。
安心感を与えられる人になることは、悪くない。
たくさん甘えてわがままを言いたい幼心を、お母さんのように大切に暖かく包み込んでいきたい。