普段からあまり人目というものを気にしない、つもりでいる。というか、できれば気にしない人でいたい。とはいっても、気にしている。

10代のころから可愛いものが好きで、アラサーになっても着ている

以前、大学で事務の仕事をしていた時、学生から「働いてる人には見えないです」と言われたことがあった。事務といっても、大学の先生の部屋の隅にいて、あまり人目につかない仕事だったので、わたしは自由な服装をしていた。

10代のころからロリータの趣味があったので、すでにアラサーに差し掛かっていた当時も、その名残りのあるファッションを好んでいた。そこまで奇抜なものを着ていたわけではないが、ニットやブラウスのどこかに必ずリボンやフリルがあるものを選んでいた。

同じ大学職員でも学務係や総務課など、大部屋にたくさんの大人が顔を突き合わせて働くタイプの職場であったら、わたしもやむなく空気を読み、“働いてる人らしい”無難な服を着ただろう。

でも、私の仕事部屋(先生の部屋)は、人目を気にしなくてもよかった。大学の先生は、わりと自分の世界に没頭する方が多いので、服装のことを注意されるようなことは一度もなかった。

服装が自由だと、気持ちも自由になる。人目を気にせず、好きなものを着ていたい。人目を気にしたくないのに、わたしはお洒落がしたい。いやでも、お洒落って人目のための要素が強いのではないか? だとしたら、わたしの生き方は相当矛盾している。

人と群れたいなら、周りと同じような格好をしないと浮いてしまう。孤立を選べば、好きな服を着ていられる。社交的で空気を支配できるタイプの人なら、お洒落でも浮かない人でいられるのかなあ。わたしは口数が少なく人付き合いが上手くないので、ひとりぼっちのロリアラサーだ。

わたしは孤立してもいいから「好きなもの」とともに生きていきたい

それでもやっぱり、好きなものはゆずれない。世の中には、ひとりになるのを恐れて、好きな服を着れない人が、少なからずいると思う。わたしは孤立してもいいから(断言できるほど強くはないけど)好きなものとともに生きていきたい。

けれど、人間関係が充実していて、自分の見られ方を気にする機会が多い人ほど、なんとなく無難な服や小物を選んでいるんじゃないかな。もちろん、もとからシンプルが好きな人も多くいるだろうけど、“隠れ可愛いもの好き”な人も、きっと、ほんとはいっぱいいるのでは? そんな気がする。

この2~3年、私のお気に入りの店が相次いで閉店していった。どれも“可愛い”服や、雑貨、お菓子を取り扱っていた大好きな店舗ばかりであった。一方で、シンプルで機能的なアパレルブランドやや無機質で飽きの来ないデザインの家具店の売り上げは好調だという。

最近の風潮が、“可愛い”は無駄という感覚になってきているような気がする。無駄のない空間や服装で生活し、また人間関係も、オンラインで会うことで、無駄な時間をなくそうというのが当たり前になってきている。

世界が変わっていこうとも「無駄なもの」にこそ価値があると思う

最近見たニュース番組で、ある専門家が「これからは、人に選ばれる存在になる努力をしなければ、人との繋がりはもてなくなるだろう」という趣旨のことを話していた。“私と付き合っていればあなたに利益をもたらしますよ”という自分の見せ方をしなければ、人から無駄だと判断され、用なしになってしまうのだろうか。

そんな風に世界が変わっていこうとも、わたしは“無駄”なものにこそ価値があると思っている。無駄に髪にリボンを飾って、何に使うかわからないけど可愛い置き物を置いて、無駄の境地に囲まれていたい。好きなことに正直でいたい。J-POPの歌詞に使われた中で最も多用されている言葉は「ひとりじゃない」らしい。ひとりで何が悪い。

ちなみに、わたしが尊敬する桑田佳祐さんの『明日晴れるかな』という歌詞に孤独やトラブルは、神からもらったものという趣旨の一節がある。そう思えば、皆が恐れる孤独も大切な時間なのではないかな。だから孤独も無駄じゃない。