彼女とは幼稚園から一緒だった。でも、彼女を最初に認識したのは小学生の頃。陸上大会で選手になった彼女を、私は「カチューシャの綺麗な女の子」として心の中で呼んでいた。

時は過ぎて、私たちは中学一年生になった。
私はハンドボール部、彼女は陸上部だったけれど、大会があるときだけ選手を募集する、特設の駅伝部で一緒に走ることになった。

駅伝部で一緒になった彼女。一緒に走った時間はとても大切な時間だった

初めの頃の記憶は全くと言っていいほど無い。でも、私たちは一緒に練習していくうちに自然と仲良くなっていった。駅伝をやりたがる人は少なく、私の学年は彼女と私ともう1人くらいだった。だからか、結束力みたいなものは少なからずあったと思う。

三年生になると、同学年は彼女だけになった。それからは毎日、彼女の隣を走った。あの時間は、私にとっては忘れられない、とても大切な時間だ。なぜなら、私は途中からスランプに陥り、大会では一緒に走れなくなってしまったからだ。

悔しかった。もっと彼女と走りたかった。一緒に成果を出したかった。

でも、それは叶わなかった。
結局、後輩が走り、私は応援に回った。けれど、彼女との友情はそこで終わりではなかった。

私に助けられたと彼女は言った。私が、彼女を救えたことが嬉しかった

彼女は陸上の推薦で、私は普通受験で、同じ高校に通うことになったのだ。

でも、ハンドボール部でトラウマができ、運動部に入ることを諦めた私は、陸上部に入らなかった。いつも、陸上部で彼女が好成績を残していくのを、遠くから見つめていた。

クラスも一緒になることはなかった。小学校でも中学校でも、一緒になったことはないから、記憶のない幼稚園の時だけ、クラスが同じだったことになる。

それでも、お互いの誕生日やイベントがある時には、彼女と会っていた。偶然一緒に帰れたこともあった。高校でうつ病を患い、つらい学校生活を送っていた私にとって、彼女との楽しい時間は、至福の時だった。

なんとか高校を卒業した後、私たちは別々の大学に行くことになった。彼女は陸上を続けるために、推薦で、有名な遠い大学へ。私は英語を学ぶためにもっと遠い大学へ。それで、春休み中に彼女と会うことにした。

そこでは、全く知らなかった彼女の苦悩を知ることになった。

どうやら、高校時代、友達とうまくいかなくなったことがあったようなのだ。でも、そんな時、私に助けられたんだと彼女は言った。私は驚いた。いつも彼女の背中を見ていただけの私が、彼女を少しでも救えたのか。すごく嬉しいことだった。

頑張る彼女を見て、私も頑張れる。彼女がいたから生きてこられた

大学に行ってからも、彼女とはたまに連絡をとっていた。

しかし、ここで私に地獄が訪れる。うつ病がひどくなり、学校に通えなくなったのだ。

やむなく、私は実家に帰り、2年間休学した後、通信制の大学へ移った。すごくすごく悔しくて辛かった。大好きな友達と卒業したかったのに。

でも、そんな中で、私を元気づけてくれるものがあった。彼女の活躍だ。

大会の度に、私は彼女に応援メッセージを送り、彼女は終わった後に結果を報告してくれた。人が頑張っている姿を見ると、自分も頑張れる。それを身をもって知れたのは彼女のおかげだ。

その後、私の体調は回復していき、習い事などにも通えるようになった。そして、彼女は、無事に大学を卒業し、この春から社会人選手としてやっていく。

今まで、彼女にはたくさん支えられてきた。こうしてまとめてみると、本当に長い間、彼女にはお世話になっているものだ。彼女との時間は、私の人生の中では数少ない楽しくて幸せな時間だ。

彼女がいたから、私はなんとか生きてこられた。

これからは、彼女がもっと幸せになれるよう、選手としても一人の友達としても応援して、恩を返していきたい。