「将来、お母さんみたいな大人にはならないようにってこと?」
忘れもしない。売り言葉に買い言葉で、小学校5年生だった私が母親に言い放った言葉だ。
小学5年生。その時に私の人生は大きく変わった。両親が別居し、慣れ親しんだ家を出た。

母と言い争いをして、言ってはいけないことを言ってしまった。謝ることはできなかった

両親の間には確執があったものの、自営業を営んでいたため、仕事では顔を合わせなくてはならなかった。
その時期の母の口癖は「資格があれば」。手に職があれば、父に頼らずとも自立ができたのに、とよく話していた。そして娘の私に対し、将来自立した女性になれるよう「勉強しなさい」とよく言っていた。
けれどもその頃の私は、両親の不仲と環境の変化に心が疲れ、勉強どころではなかった。
だから、その当時はよく母と喧嘩になっていた。「勉強しなさい!!」と言われ、なんらかの口答えをし、言い争う。これを繰り返していた。
そんなある日、母に言ってしまったのが冒頭の言葉だ。
「勉強しなさい!!」
「将来、お母さんみたいな大人にならないようにってこと?」
「………………………そうだよ。」

今でもあの時の間は忘れられない。子どもながらに「あ、今言ってはいけないことを言ってしまった。」と思った。
でも謝ることはできなかった。

母の当時の苦労は相当なものであった。母に謝罪と同時に感謝も伝えたい

小学5年生。11歳。子どもから大人になる、そういう時。意地もあったし、謝ることへの恥ずかしさもあって余計に謝れなかった。
でも、「なんであんな風に言ってしまったんだろう」とひどく後悔をした。本心ではなかったから。その頃の私は母に憧れている部分もあったから。
それと同時に、それまでは子どもっぽい言葉で相手を攻撃することしかできなかったのに、相手を傷つける言葉を見つけられるようになってしまった。そう感じた初めての体験だった。

私も30歳近くなり、今振り返れば、その時の母の苦労は相当なものであったと思うし、余裕がなかったのだろうと考える。だから我が子に対し、感情的に「勉強しなさい」と言う機会が多くなったのだろう。
11歳の頃は、母を傷つけることを言ってしまったことに対して謝りたいと思っていたが、歳を重ねるにつれて、当時の母の心境を想像できるようになり、理解しつつあるからこそ、より一層後悔と反省が強くなった。
そして、謝罪と同時に感謝も伝えたいと思うようになった。

もうすぐ私の結婚式。母に、あなたのようにように強く生きていきたいと伝えたい

私にとっては長く心に引っかかっている場面であるが、母がこのことを覚えているのか忘れてしまったのかはわからない。幼い頃は意地になり謝れなかったが、時が経つにつれ、覚えていなかった場合にまたほじくり返すのがやっかいだと思い、謝れなかった。
それでも「やっぱり。」と思うのは、「あの人に謝りたいこと」というテーマを見つけた時に真っ先にこのことを思い出したからだ。
たとえ母がこのエピソードを覚えていてもいなくても、謝罪と感謝を伝えたい。
そして本心ではなかったこと、母に憧れている部分があることも併せて伝えたい。

もうすぐ私の結婚式がある。その前日にでも伝えてみようか。
私は今の自分の人生が好きなこと。最愛の人に巡り会えたこと。すべてあの苦しい時に育ててくれたあなたがいたから。そんなあなたのように強く生きていきたいと思うこと。
幼かった頃から抱え続けた謝罪と感謝の意を添えて。