家族と素直に話したいけど、なぜかそれができない。どんなに頑張っても、素っ気ない態度しか取ることができない。

そんな私が父に実は伝えたいこと。それは、ほんとうは大好きだということ。

年甲斐もなく続く父への反抗期。不器用な私たちの会話は続かない

今年30歳になる私は、年甲斐なくもまだ反抗期が続いている。中学生あたりから反抗期が始まったので、もう生きている半分が反抗期。ほんとうは両親と素直に会話がしたいのに、特に父親への反抗期が終わらない。

それに加えて、父も父で、コミュニケーションがまったくうまくない。家庭では弟たちから煙たがられているし、母も相手にしない。唯一会話が成り立つのは、最近一緒に住み始めた母方の祖母くらいで、父は家での肩身はかなりせまいと思う。

でも、会話を始めてみると無意識に腹が立ってきて、会話を続けられない。私も父も、お互いに不器用なのだ。

だけど私はほんとうは家族が大好きで、父は特に大好きだ。唯一の娘なので溺愛されているのだということには最近気づいたのだけど、いまの私があるのは父のおかげで。

田舎で生まれ育った私が地元の進学校に片道1時間以上かけて通い、結果いまこうして都会で働き、やりたいことができているのは両親のおかげ。

コロナ禍。強がりな私は家族に頼れない。そんな時に届いた父からの連絡

そしてなにより、去年のコロナ禍。

体の弱い私は死の恐怖を毎日感じていたし、急に誰とも会えなくなって発狂したし、異動で住む場所もまわりのひとたちも一気に変わって気持ちが落ちてしまった。

せめて家族に頼りたいけど、もともと強がりで年中反抗期な私はうまく頼ることができない。家族とのやり取りでは大丈夫なそぶりを見せながらも、気持ちはもういつ命を絶ってもおかしくないと思うくらいに落ちこんでいた。

こんな苦しい気持ちで、この世に居たくないとさえ思っていた。死への恐怖が、生を手放す意欲に変わる過程を見た。

そんな私をすくいあげてくれたのが、父からの連絡だった。都会にひとりで住む娘を心配して、家族でのごはんにオンラインで参加をさせてくれた。(と言っても、父は操作ができないので繋ぐのは弟の役目)

当時、誰とも気軽に会えないし、引っ越したばかりでそもそも会えるひとが少なかった私にとって、この通話がどれほどありがたかったか。

家族みんなとオンラインで時間を共にし、笑顔で話して一緒にごはんを食べる。人間にとって、一緒にごはんを食べるってほんとうに大事だ。

こうした日常の時間の共有で何度も心が救われたし、人知れず泣いた。

もう私、この世界にいなくてもいいかもしれない。辛い思いをしながらいる理由がない。と、何度も思った当時だったけど、父の愛が私を救ってくれたのだった。

つらい時に助けてくれた父へ、いつも愛で守ってくれてありがとう

だからやっぱり、いまの私は家族のおかげ、とりわけ父のおかげでここにいられる。生きていたら辛いことも楽しいこともあるというのはわかってはいるけど、当時は辛くて辛くて耐える気力がなかった。

それを助けてくれたのは父だから、ほんとうは心からお礼が言いたい。そして私も、父と普通に会話ができるようになりたい。

でもそうなるにはまだもう少し時間がかかりそうなので、まずはこうして文字にしてみたのだった。

お父さん、いつも私を愛で守ってくれていてありがとう。なかなか態度で示せないけど、ほんとうは大好きです。