涙が止まらない。何をしていても悲しい。一体、私は何に対してこんなにも悲しんでいるんだろう。ベッドの中で目を閉じていると、どんどん気持ちが溢れて止まらなくなった。

次から次へと小さいネガティブの銃弾が私の心を撃つ。その弾は私を死に追いやるような弾ではない。いわばBB弾のようなおもちゃの弾。けれど私はまともに全て受け止めてしまう。痛くて悲しくて、どうすれば止まってくれるのかわからない。それが1番つらい。

生理前の精神的不安を、どうにか誤魔化しながら毎月過ごしている

目が覚めると、下腹部に鈍痛を感じた。
あぁ、来たのか今月も。いや、やっときてくれた。
もう悲しみの渦に引きずり込まれて、元には戻れないのではないかと思った。やっと辛い時間から解放された。

私は生理前の症状として、精神的不安が強くなり、もうびっくりするほど涙が止まらなくなる。しかも、目が覚めた時には、どうしてあんなに泣いていたのか本当にわからないのだ。
ネガティブの内容が思い出せない訳ではない。内容が私をあれほどワンワン泣かせるに値しないのだ。

それでも、生理前の私は、どうすれば悲しみを止められるのかわからなくて困ってしまう。

頭をグルグル回るネガティブを、どうにか止めるために体を起こして牛乳をレンジに入れた。ほのかな甘さが口に広がる。独特な匂いは鼻が詰まっていて全くわからない。頭が重い。

次の日は目がパンパンに腫れるし、泣くこと自体にエネルギーを使う。この先仕事を続けられるのだろうか。学生の頃からずっとそれが不安だ。今はどうにか誤魔化しながら毎月過ごしているけれど、誤魔化しきれない日がいつくるのかわからない。

この不安の中、何も対策を打っていないわけではない。私はもう2年もピルを飲んでいる。ピルを飲んでいても、休薬期間になると薬の効果がなくなり、ガクッと気持ちがダウンしてしまう。もちろん服薬する前に比べると、症状が現れる期間はだいぶ減って、とても楽になったけれど。それでもまだ、つらい日はつらい。できる限りのことはしているのに……。女性でも症状の強さや種類は人それぞれ違う。

タブー視されていた生理の話。私は周りに相談することもしなかった

学生の頃、これがホルモンの仕業だとは知らず、自分がクヨクヨしているせいだとか、集中力が足りないからだとか思っていたことがある。明らかに別人の自分がいることに戸惑って、もしかして私は多重人格なのかもしれないと本気で思ったこともある。

過去のことを今更言っても仕方ないけれど、これが原因で失った物も、正直あった。

PMSという言葉を知った後も、周りに相談することはしなかった。今でこそ世の中の雰囲気が変わりつつあるけれど、確実にまだあの頃は生理はタブー視されていたと思う。

もしすぐ周りに打ち明けていたとしても、余計に辛かったかもしれない。生理痛がある女友達にすら、精神不安の症状については、あまり理解してもらえなかったかもしれないし、彼氏なんてポカーンという感じだったとおもう。
定年前の男の顧問には、「みんな同じ条件だ」なんて言われて、無駄な喝を入れられたのではないだろうか。これはあくまで自分の想像の中の話だけれど。

つらいときにつらいと言える社会に。もっと正直に生きてもいいのでは

働く女性は、私の目には毎日同じように見える。症状の重い軽いはあれど、みんなそれぞれ辛い時期があるはず。みんな毎月耐えながら普通の顔をして生活しているのだろうか。

女性の生理は昔よりも回数が増え、今は1人の女性の一生のうちで平均450回~500回ほど起きるらしい。私はあと何回我慢しながら、耐えながら過ごさなければいけないのだろう。

私の会社には生理休暇の制度がある。けれど使っている人を見たことがない。少なくとも私の周りでは。

みんな普通の顔をして毎月耐えているのだろうか。もうしんどいときは、しんどい、つらいときは休む。もっと正直に生きてもいいのでは?と思っている。

来月は泣かずに生理前を過ごせるだろうか。これがあと何百回続くのだろう。もう耐える必要も感じていない。けれど、耐えてしまうのかな来月も。つらいときにつらいともっとオープンに言える社会ができてほしい。

それが個人的なつらさでも、共感してもらえないつらさでも、生理のつらさでも、我慢せずに言っていいと思う。声に出し、発信することで少しずつ、でも絶対に変わると思うから。