「小さい頃の思い出は?」

生きていると、誰でも一度は聞かれたことがあるであろう言葉だが、私はいつも「ほとんど、お父さんとの思い出ばかりだな」と答える。……本当は“お父さん”ではなく、“やっちゃん”と呼んでいることは、親しい友達以外には秘密である。

私が低学年の頃に父と母が離婚し、やっちゃんと始まった二人暮らし

私の家では、物心ついた頃から家族全員がニックネームで呼びあっていて、私もそれが自然で、何なら他の家族にはない特別感があって、私の家族の好きな部分でもある。そんな私の両親が離婚を決意したのが、私が小学生低学年の頃。今後の進学や生活費など経済的なこともあり、私は父親側について一緒に暮らすことになった。

突然二人で始まった生活に最初は戸惑ったが、やっちゃんは髪を結った経験もないのに、見よう見まねで私の髪を結ってくれたり、寝起きで文句ばかりの私に毎朝様々な朝食を準備してくれたりした。

特に嬉しかったのは、週末になるとやっちゃんが私を楽しませるために仕事で疲れている体に鞭打って、必ず「今日はどこ行こうか?」と色んなところに連れて行ってくれたことだ。だからか私は、学校で友達と話す夏休みの思い出も、旅行ではなくやっちゃんとの時間だったことに誇りを持っていた。

中学生から高校生の頃は吹奏楽の楽しさに没頭し、父も練習がきついと嘆く私を優しく見守り応援してくれていた。この頃から、外では「お父さん」と呼ぶようになった。

社会人になってからも、私が挑戦したいことがあれば応援してくれる父

大学を卒業し、社会人になってからも、私が挑戦したいことがあれば「やってみなさい」と応援してくれる父。

最近は私の仕事が忙しく、週末も友人との時間を優先してしまっているせいで、ゆっくり父と話す時間が取れておらず、帰宅しても朝が早い父は就寝し、私が起床する頃には既に家を出ているということが増えた。どんなに遅く帰っても玄関の灯りはつけたままで、湯船もためてくれている。

たまに話せる時には私の仕事の話ばかりで、父は静かに聞いているだけの一方的な会話になってしまっている。私以上に疲れているということもわかっているのに……。

そんな父に、実は伝えたいこと。それでもやっぱり、私は小学生の頃、家族皆で毎年旅行に行く家族に憧れがあったし、やっちゃんと二人で行くレストランも周りを気にして、少し恥ずかしいと思ったりもしていました。

私の幸せを第一に考えてくれた父を、私が絶対に幸せにするからね!

でも、いつも自分の幸せよりも私の幸せを第一に考えてくれていたやっちゃんを、今度は私が絶対に幸せにしたいと思ってます。私が遠出してお土産を買って帰ると、「お父さんのことなんて考えなくていいのに」というやっちゃんにお土産なんかじゃ賄えないほど、毎日本当に感謝しています。

最近は忙しくてゆっくり話ができていないけど、美味しいものを食べると「やっちゃんにも食べさせたい」って思うし、一緒に行きたいところも、知って欲しいものもまだまだたくさんあるんだよ。

そんな父もあと1年で定年を迎える。私にできることは少ないけれど、家族のために自分を犠牲にしていた父が願うことは、一つでも多く叶えてあげたいと思う。

いつも本当にありがとう。伝えられないくらいの感謝を込めて……父に実は伝えたいこと。