父は、先日還暦を迎えた。父が18歳で就職した職場も、いよいよあと1年足らずで定年退職だ。

42年もの間、たった一つの職場で働き続けた一途な人。何度も転職している私とは真逆のタイプともいえる。

だけど「人のため、社会のために働きたい」という思いを持っている点では、父と私はそっくりだったらしい。私は今、父と同じ業界で、同じ職種の仕事をしている。そして、この仕事を通して社会のためにできることは何か、ずっと考えている。

「大人になったら、父のように社会のために働く」と思っていた

最初に父の仕事に興味を持ったのは、小学3年生くらいのときだったと思う。その頃、私の家庭で就労していたのは父だけで、私にとって“外で働く”ことの唯一のモデルケースが父だった。

父は、いつも誰かの安心や幸せを願って仕事をしていた。その父だけが“外で働く”モデルケースだった当時の私は、大人はみんな、父のように社会のために働いているものなのだと思っていた。そんな父の仕事ぶりが当たり前ではないと気づくのは、私自身が大人になってからだった。

父は、たまに小学生の私を仕事先に連れて行ってくれた。父の仕事を通して見える社会から、私は沢山のことを感じた。いろんな人にも出会った。そうしているうちに私は「自分も大人になったら、父のように社会のために働くんだ」と自然に思うようになっていた。

今思えば、私が子ども時代を過ごしたあの頃は、「女の子は嫁に行くんだから仕事なんてしないの」と言う人もさほど珍しくなかった。そんな中で、私が専業主婦の母ではなく外で働く父の姿に憧れたのは、きっと簡単なことではなかっただろう。

父と母は「この子の生き方を性別で制限したくない」という思いから、私に将来のいろんな選択肢をフラットに教えたのだろう。「お母さんのようにも、お父さんのようにもなれるよ」と。私が父に憧れることができたのは、きっと二人のおかげだ。

そうして、父の就職した年齢と同じ18歳になったときには、私は「将来の夢は父と同じ仕事」とはっきり言うようになっていた。

父から大きな影響を受けて進路を選ぶことは、私自身の選択?

しかし、大学卒業が近づいて改めて自分の将来を考えたとき、私はそれまでとは違う考えを持った。父の働く姿から大きな影響を受けて進路を選ぶことは、私自身の選択とはいえないのではないか? という疑問が浮かんだのだった。

そこに私の主体性はなく、環境に影響されているだけではないのか? 実際、父が全く違う職業だったら、この仕事は目指さなかっただろうし……。そんな堂々巡りから抜け出せないまま、私は生煮えの就職活動をしていた。

「本当にこれでいいのか?」という不安がつきまとい、念願のはずの父と同じ仕事の面接にもほとんど準備をできずに挑み、惨敗した。それでもなお、父は同じ仕事に就くことを応援してくれたけど、私は父から強い影響を受けていることへのモヤモヤや、父とは違った世界を知りたいという興味(と反抗心)から、全く違う仕事に就職するに至った。

22歳で就職した会社は、父とは全く違う業界だったけれど、ここで社会の役に立とうと私は意気込んでいた。しかし、そこでぶつかったのが、資本主義の中で“社会のために働く”ことの難しさだった。

会社に雇われて働く日々、目の前の一人を幸せにするより、会社の利益を追求しなければならないことなんて日常茶飯事。父を見て、ずっと“社会のために働く”のが当たり前のことだと思っていた私は、父がいかに強い信念でその生き方を選んでいたかを初めて知ることになった。理想と現実の違いに私の心は引き裂かれ、結局、最初の就職先は数ヶ月で退職するに至った。

私は今、父と同じ仕事をしながら「私自身の信念」を貫こうとしている

それからいくつかの仕事を経験し、最初の退職から3年後に、私は父と同じ仕事を目指す決心をした。その頃の私はようやく、18歳のときから抱いていた「父と同じ仕事がしたい」という自分の思いを、真正面から受け止められるようになっていた。

転職の面接では正直に、父から受けた影響や、この仕事にずっと抱いてきた思いを語った。その結果、26歳でやっと、父と同じ仕事に就くことができたのだった。

私は今、父と同じ仕事をしながら、“社会のために働く”という信念を貫こうとしている。それは父の信念ではなく、私自身の信念になった。その思いがいつも叶うわけではないけれど、最大限の努力で日々もがいている。

父は定年を間近に控えた今も、やはり全力で誰かの幸せのために働いている(全力すぎて心配になるときもあるけれど)。私はそんな父にいつになったら追いつけるのだろう。父とは違う、私だからこそできることは何なのだろう……。そんなことを悶々と考え、私は今もなお父の影響を受け続けている。

こうして振り返れば、最初の就活と最後の就活では、エントリーした仕事は同じでも私の心境は全く違った。

最初の就活では自分の選択に半信半疑になり、その結果面接で自分の思いを伝えることができなかった。最後の就活では「私がやりたいのはこの仕事だ」と、胸を張って思いを言葉にすることができた。

父とは恥ずかしくてこういう話をしたことがないから、きっと私のそんな心境の変化には気づいていない。「念願だった仕事にようやく採用された」というシンプルなストーリーだと思っているかもしれない。

でも本当は私にとって大きな変化が起こっていたこと、ずっとその背中に向けてきた視線のこと、そしてこの仕事に対する決意のことを、父に伝える勇気を持てる日は来るだろうか。