わたしは今、昼下がりの曇り空の下で洗濯物を干している。私の家の前は河川敷だ。空を一望に眺められ、川や山が見据え、木々が揺れる。土手沿いは自転車と自動車、歩行者たちがそれぞれの速度、それぞれの時間軸の中で行き交う。日常がまるで描写されたようなこの場所がわたしにとって特別だ。
洗濯かごから父親の作業着を手に取りハンガーにかける。上着が風で飛ばされないように前のボタンをひとつずつ締めていく。
私はふと袖元に目がいった。袖元は擦れきり、塗装のインクのシミが落ち切れぬままだった。父は内装建築の仕事をしているため、その作業着からは現場の実態をうかがえる。ちょっぴり胸が痛かった。
洗っても汚れがとれない父の作業着を、汚いと思ったことが一度もない
私は父の日に洋服をプレゼントすることが多い。父はまるで服のセンスがない。とはいえ、こだわりはあるそうで、なかなか父好みの洋服を選ぶのが難しい。
けれど、娘たちがプレゼントした洋服を嬉しそうにに着ている姿は微笑ましく、親孝行できたかなと、ほっとするわたしがいる。
汚れている作業着を新しく変えないのはなぜなんだろう、そうふと思った。
けれど、そこに観点を置いたところで見えてくるものは無さそうだったから思考を止めた。
汚れているものを見ると人は汚いものだと判断しがちだ。
なぜ汚れたのか、なぜ汚れたままなのか。そこを考えようとすることはなかなか無い。
私は父の作業着をみて汚いと思ったことが一度もない。
何度洗ってもとれないインク、シミ、独特な匂い。
むしろ、父の作業着は何かを物語っているように見える。
秋の匂いを乗せた風に揺られ、洗濯物はじきに乾くだろう。
乾いた作業着を着て、再び仕事に向かう父の姿が目に浮かぶ。
どうか安全に事故無くいってらっしゃいと伝えたい。
幼少期からの留学の夢をわたしが叶えたのではなく、父が叶えてくれた
先日父親は、祖父の介護のために退職をし、ひとり故郷である沖縄へ帰った。父親は単身赴任だったため、幼い頃からわたし達と過ごす時間が少なかった。だから、今のこの状況にも決して違和感はなく、強いて言うならば世帯主が母親に変わったことに多少のぎこちなさを感じるだけだ。
そんな感じだが、わたしは父親が沖縄に帰る前に手紙を書きたいと思い立った。何よりも大にして伝えたいのは、やはり“感謝”の気持ちだ。
わたしは5人兄弟の3女。真ん中。3番目。これは、よくある授業の発表順番決めには最もの打席だ。だが、兄弟の真ん中というとそう良いものでもない。姉たちの顔色をうかがい、妹弟には母親を占領され、特別大きな関心を受けずに育った。
そんなわたしは幼少期にとある国に関心を持ち始めた。その頃からわたしにとって叶えたい夢がぽつぽつと生まれた。
その夢を父親に相談するたびに、“好きなようにやれ”と、すべてを受け入れてくれた。そのひとつが留学だ。
留学はわたしの強い想いが叶った人生の最も輝いていた時間だった。
自分の意思や行動力がなければそんなことも出来なかったことだとも思うが、費用から仕送りまで負担してくれたのは父親だ。
わたしが夢を叶えたんじゃない、父親がわたしの夢を叶えてくれたのだ。
父親の誇りが染みこまれた作業着は、この家にそっと温かく残るだろう
父親が沖縄に帰る数日間、わたしは精神病が進行し泣き顔しか見せられなかった。
以前、わたしの笑った顔が好きだという父親からのメールを思い出した。けれど、最後の最後まで心配をかけて手紙も書けずじまいとなった。
お父さん。
わたしの夢を叶えてくれてありがとう。考えてみたらね、わたしお父さんについて知ってることがこれっぽっちもなかったの。それなのに、お父さんだけはなぜだかわたしのことをよく分かってるのよね。親子ってこういうものなのかな。
わたしたちはお父さんに何もできてないのに、5人の子供たちとお母さんを守ってくれてありがとう。いつも寂しい想いさせてごめん。大好きです。
父親が作業着を来ることはもう無いだろう。
しかし、父親の誇りが様相としてたっぷりと染みこまれた作業着は、今もこれからも
この家にそっと温かく残るだろう。
わたし達には見せない父親の姿、わたし達には伝えない父親の想い。
そして、わたし達にはあまりにも大きすぎる父親の存在。