秋の運動会に出没するのは、アイスクリームを売る妖怪だった

私が小学生の頃、運動会はまだ秋に行うのが通例だった。
小学4年生の秋、秋とは名ばかりのうだるうだる暑さの中、雲のない青空だけが秋を象徴して、運動会は進んだ。
そんな気温なものだから、校門の前には毎年怪しい男がアイスクリームの販売にやってくる。

アイスクリームではなくてアイスクリンだったかもしれない。あるいはキンキンに凍らせたチューペットとか、とにかくそういう冷たい甘い類いのもの。
当然そういった菓子類を運動会中に食べるのは学校側に禁止されているので、私は校門の柵の隙間からうらめしくその怪しい男を見つめていた。
この日にだけ現れる、妖怪みたいに思っていた。

運動会も半ばをすぎ、昼食の時間。
今では少ないのかもしれないが、私の通っていた小学校では家族とともに校庭でお弁当を食べるのが習わしであった。

父が早朝から場所取りに走った日陰の一等地でレジャーシートを敷きお弁当を食べる。
これこそがこの日のメインイベントなのだ。
(お弁当は父でも母でもなく仕出し屋に作ってもらったものだったが)
レジャーシートにのぼってくる蟻を手ではらうのも今日だけは楽しい。

「これ飲んどき」父から渡されたのはつぶつぶみかんのジュースだった

お昼の休憩時間も終わろうとするその時。
水筒に新しくお茶を入れてもらい、赤組の自分の席へ戻ろうとすると、父が「暑いから。これでも飲んどき。」となにかを差し出した。

つぶつぶみかんのオレンジジュース。

そんな商品名だったと思う。

冷たく冷やされた自動販売機の世界と灼熱の外の世界の気温差で、きらきらしたしずくがプリントされたオレンジのイラストの上で光っていた。

これは。
アイスクリームでもアイスクリンでもチューペットでもない。
だが、間違いなく甘いものだ。
甘い飲み物だ。
それはつまり菓子だ。
私が柵の隙間から熱く見つめていたものと同じ部類のもの。

飲めばよかった。
素直に。
手を出して。
ありがとうと。

「そういうの飲んじゃいけないんだよ。」
そう答えていた。

幼くも、正しくあろうとした私への餞を、書き記しておきたい

思春期特有の正義感は誰しも経験があるはずだ。
下ネタばかり話す男子が許せない、ズルしてる人が許せない、先生に言いつけてやる、あの感じ。
ああ黒歴史。

ジュースを飲んじゃいけないなんて父は知らない。
それなのにありがとうも言わずに突き放してしまった。

そうか、とだけ呟いてジュースを引っ込めた父の顔は見なかったかわりに、声だけが今も忘れられない。
あのオレンジジュースは誰が飲んだのだろう。
父も母も甘いものは好まない。
私のためだけに買われたジュース。

なんてことない。
差し出されたジュースを飲まなかっただけ。
それだけのことがあれから10年以上経った今も忘れられないのはどうしてだ。
あるいはなぜありがとう、と言えなかったのだ。
今も自問自答する。

父は多分オレンジジュースのことなど覚えていない。
だけど私の胸にあの日飲めなかったオレンジジュースのつぶつぶが未だに貼り付いているような気がしてならない。

喧嘩をしたわけでも、嘘をついたわけでもないこんなささいな一コマを、父に伝えることは
一生ないかもしれない。
だから、あの日の幼かった、正しくあろうとした私への餞としてここに書き記しておく。