20歳になった今でも脳裏をよぎる生活指導の光景、怒鳴る顧問の顔、巻いた前髪を叩かれる感触。
ああ、あの忌々しい校則たち、ルールたちに反抗できていたら!
しかし、ルールを破ってみたところで、私は「わたし」を認めることができていたのだろうか。
私の愛する「わたし」でいられただろうか。

北関東のとある田舎に住んでいた私は、中学でも高校でも、厳しく、歪んだ校則によって縛られていた。

中学。
下着の色は白以外禁止。
LINEやtwitter禁止。
プールの授業時に生理になったら、校庭を5周走ったのち、草むしりをしなくてはならない。
かつ、生理の日数を報告しなければならない。

高校。
髪を巻いてはいけない。できるだけドライヤーもしてはいけない。
アイプチやアイテープで二重にしてはいけない。
メイクはもちろん、色付きリップも禁止。

たかが校則、されど校則。私にとっては「されど校則」だった。
閉塞された空間において命を握る絶対的存在。田んぼに囲まれた校舎の中でこれらのルールに囲まれて過ごすことは、高い山に登る登山者が徐々に酸素の薄さに蝕まれていくのと同じようなことなのだ。

赤い髪の毛と真っ黒に塗ったネイルは自由な場所で自分に課す「ルール」

そんな息の詰まるような日々は高校卒業とともに終わりを迎えた。
私はここから逃げるように地元を出て、東京の美術大学へ進学した。

東京、美大。
そこは想像以上に自由な場所だった。
なにより、この場にいる誰も彼もが、形は違えど自分が信じるものを信じ、ありのままに生きている。
目の前の世界に私はひどく安堵した。
「あの狭い校舎だけがわたしの世界なんかじゃなかったのだ」と。
「なりたい自分になることになんの制約も受けないここで、自由に生きていこう」と。
そう思った。

それがちょうど2年前の話である。
大学3年生になった今、2年前に自分を安堵させた「誰か」に、私も少しはなれているのだろうか。
私は2年間かけて、自分が自分らしくいるためのひそやかな術を身につけた。

そのうちの一つが外見である。
ウルフカットにした赤い髪の毛と真っ黒に塗ったネイル。
この姿でいることはある意味、自分が自分でいるためのおまじないのようなもので、もう1年間続けている。

あれ。
これも結局、かつてわたしを縛っていた「ルール」なんじゃないか。
これは「赤い髪と黒い爪でいる」という、自分が自分に課しているルールだ。

どんなものであれ、与えられたルールを守るのが私という人間なのだろう

もしかして、ルールというのはどんなものであれ、誰に決められたものであれ、全ての本質は一緒なのではないか。
さながらジグソーパズルのようなもので、そこには凸凹が、ルールがあるだけなのだ。
目の前の凸凹に合うピースを探す人、ピースが当てはまる凸凹を探す人、はたまた全てを片して新しいパズルを始める人。

わたしは一度ここにピースを当てはめると決めたら、その凸凹がどんなに歪だろうが難しいものだろうが、他人に作られたものだろうが自分が作ったものだろうが、そこにきちんと当てはまるピースを自分の中で探し続ける人間なのだろう。

どんなものであれど、与えられたルールを守るということ。それ自体が「わたしがわたしでいるためのルール」なのだ。
さながら「人民の人民による人民のための政治」よろしく、わたしのわたしによるわたしのためのルールによって、わたしはわたしとしてここまで生きてこられたのだ。

思えば中学でも高校でも、結局のところルールを破ることはなかった。
「真面目な委員長キャラ」とまではいかずとも、守らなければいけないことは自分の基準で守っていた。
さぞ冴えない姿だっただろう。けれどその時の、わたしがわたしであるためのルールを必死に守り抜いたわたしを、醜いとは思いたくないのだ。

与えられたルールをどうにか自分の中で守ることで、私を愛し認められる

ああ、あのときピンクの下着を着られていたら!
ああ、あのとき前髪を思いっきり巻けていたら!
ああ、あの歪なルールたちを破れていたら!

ああ、どんなに痛快だっただろう。

それでも、それはわたしがわたしであるためのルールに反してしまうのだ。

白以外の下着がダメなら、白くても可愛い下着を着たように。
前髪を巻いてはいけないのなら、いっそ前髪を伸ばして雰囲気を変えてしまったように。
そして、今、好きな自分でいるために赤い髪と黒いネイルを身に纏っているように。

わたしは目の前にある凸凹に当てはまるピースを、ずっとずっと探し続けては、当てはめている。

与えられたルールをどうにか自分の中で守る。
そうすることで、ようやく私は「わたし」のことを認め、愛し、生きていけるのだ。