幼少期、物心ついた頃から強い女性に夢中だった。友達がジブリやディズニーのアニメ映画を見ていた時、私はレンタルビデオショップの洋画最新作コーナーを物色していた。
トゥームレイダーのアンジェリーナ・ジョリーやチャーリーズエンジェルのキャメロン・ディアスに憧れ、公園の遊具の上を走り回った。
彼女たちのように、「かわいく」よりも「かっこよく」なりたかった。私は、純粋に彼女たちの強さに魅力を感じていた。
2つ下の弟と掴み合いの喧嘩を繰り返すような活発な私だったが、花柄のワンピースも好きだった。でも、段々とそのふたつが共生しない事に気づき始めた。
「そんなんじゃ男が怖がって寄って来ない」。強くありたい、でもモテたい
中学・高校に上がると、「彼氏」というワードが力を持った。17歳向けの雑誌には「モテる」が必須。同級生の男の子の前で自分の考えを口にすると「怖い」と言われた。
家では親から「そんなんじゃ男が怖がって寄って来ない」と言われ、私があんなに魅了された強さが、私を脅かす物となった。
親や世間の期待する「女性らしさ」を手に入れたいと思う反面、「強さ」を捨てきれない自分もいて、そうやって葛藤しているうちに、心がだんだんすり減った。大学の男友達には、「お前には愛嬌がない」と言われた。
当時大好きだったテイラー・スイフトの真似をしたキャットアイに赤リップのメイクも、周囲からの評判はよくなかった。「強くありたい、自分の好きなようにやりたい」と思えば思うほど、「モテたい、かわいいと言われたい」という矛盾する気持ちが大きくなった。
世間が思う「かわいい」に近づけたと思っていたら…
社会人になった時にはこの矛盾する気持ちに疲れ、必死に「かわいい」の言葉をかき集めた。バーに行っては、見知らぬ男性からの「かわいい」を貪り食って家に帰る。満足して帰っても一瞬のうちにその満足感は消え去り、また次の「かわいい」を探して夜の梅田の飲み屋街を彷徨う。
約2年半、一向に満たされない心をなんとか満たそうと休みのたびに飲み歩いた。
そうやってちょっとずつ、世間が思う「かわいい」に私が近づけたと思っていた時、私のことを「理想的」という人が現れた。やっとこれで心が満たされると思っていたら、あっという間に終わりが来た。
「そんな女(ひと)とは思わなかった」と言われて。相手の矛盾を指摘しただけなのに、また「怖い」と言われた。これでようやく気づいた。
他人の「かわいい」を追い求めても何も得られないと。
ロングヘアからベリーショートに。 これからは、自分に嘘はつかない
高校卒業以来ロングだった髪をベリーショートにした。ハリポタを卒業した時のエマ・ワトソンの写真を美容師さんに見せてお願いした。とても上手に切ってもらえて、ショートカットは似合わないと思っていたけれど案外似合った。友達からも評判が良くて少し自分に自信がついた。
「かっこいい」の褒め言葉に、忘れていた強い女性への憧れが蘇ってきた。
当時好きだったあの映画たちが、ちょうどリブート版や続編として次々公開されていた。
新しくなった映画を見て、小さい頃、なんであんなに夢中になって見ていたのか思い出した。周囲の声に惑わされず、自分の正義を貫くために戦う彼女たちに、また魅了された。
私たちは、毎日見えない敵と戦っている。世間からのプレッシャー、親の期待、何よりも自分の中にいる、小さな疑念や自信のなさが時折大きな不安となって押し寄せる。
あの時は、自分に自信が持てなくて、自分を偽っていたから傷ついた。
これからは、「期待に添えなくて残念」と、笑ってやり過ごせる自分になりたい。
現実は映画の主人公のようにかっこいい人生ではないけれど、せめて自分に嘘はつかずに生きていく。