私は人より食べる事が好きだ。食い意地だけは昔からある。
小学生の時に、おかわりのじゃんけんもよくしていたし、中学生、高校生の時には残飯処理として、友達の嫌いなものをよくもらっていた。大学生になり、自分が人より食べる事が好きだとより実感した。友達と外食する際は絶対に飲食店を調べてから行くし、食に関してのアンテナは高かったからだ。しかし、彼が海外赴任になってから、私は食事に幸せを感じなくなった。

食の価値観の違い、それが食卓の楽しさの源だったと知った

私は母と二人で暮らしている。食事は母が用意する事もあれば、自分で用意する事もある。端的に言うと母の食事は普通の家庭の味である。ものすっごくおいしい訳でもないが、まずいことはない。ちゃんと食べる事が出来る普通の味である。
しかし、最近そんな母の食事を食べるのがしんどいと思う事が増えた。こんなことを母に言うと、怒ったり、悲しんだりするだろう。でも、素直な感想である。これは母との食事の価値観の違いが関係すると思っている。
母の価値観は「入れられるものは何でも入れる」例えば、朝食のみそ汁に前日に余ったアオリイカを入れる。私の価値観は「どれだけおいしくできるか」つまり、前日にアオリイカが余っていたら、その料理レシピを検索し、作る。この食事に対しての価値観、感性が異なる為、しんどいと思う事が増えた。

また、このしんどい気持ちは彼の海外赴任をきっかけに加速した。
海外赴任する前、彼の家に遊びに行くことも多く、彼と2人でとる食事と、実家で母と2人でとる食事を週に半々ずつしていた。食べ物自体はあまり変わらなかったし、私の母の食事に関しても何も思わなかった。ちょっと変わっている母だな、と思ったくらいだ。
彼が海外へ行ってから、状況が変わった。母の食事をおいしく食べられなくなった。なんでおいしいって感じなくなったの?なんでこんなに幸福感が違うのだろう?私はずっと疑問に思っていた。

食事の場を盛り立てるのは、コミュニケーションと言う名のスパイス

幼いころ祖母の家によく遊びに行った。特にお正月には親戚が集まり、祖母が手料理をふるまう。唐揚げ、フライドポテト、きんぴら、お寿司、大人たちはビールを飲み、子供たちはその時に流行っているもので遊ぶ。みんなでガヤガヤ囲む食事の思い出が色鮮やかに残っている。私はそんなお正月が大好きで、毎年楽しみにしていた。
飲み会の幹事も買って出ていた。幼馴染の会、アルバイト先での会、大学の学科での会など、幹事になる事はとにかく多かった。それは、お酒が好きだからだってずっと思っていたけど、みんなで食事をする事が好きなんだ。
おいしい物を味わいながら語る事も、貴重な話を聞く事も、ワイワイ騒ぐ雰囲気も、心の底から居心地がよかった。食べ物ももちろん好きだけど、一番好きなものは違った。
私は大好きな人と大好きなものを食べる、食事という空間が好きだったのだ。

コロナが流行し、いろんな人とご飯に行く事を断った昨年。今年はオンライン飲み会、ご飯会をもっと頻繁に開こう。大好きな人たちとのお酒、ご飯、そして会話を楽しもう。今できる安全な方法で私は幸せを感じたい。
いつか世の中が落ち着いたら、みんなで集まって、たくさんの飲み会をするぞ!自分の幸せのために。自分の大好きな食事という空間を思う存分感じたい。早くコロナが収束しますように。