これはいつもと違う休日を過ごした話ではない。いつもと違う休日を求め続けた話だ。

地方出身、地方在住の私たちは、いつだってドラマを求めていた

ティーンエイジを過ぎた頃、私はいつもと違うなにかを求めて街に繰り出していた。
例えばそれは、友人が新たな友人をいつもの集まりに連れてくることだったり、居酒屋でたまたま隣の席に座ったいい感じの誰かに“一緒にのまない?”と声をかけられることだったりする。
そう、私たちはいつだってドラマを求めていた。

もし東京の大学に行っていたら、もっと出会いはたくさんあったんだろうか。
よくそんなことを思案していた。地方出身、地方在住の私には1つの出会いも取り逃がしている場合ではなかった。だってまず、若者がいないんだもの。

地方代表みたいな県に住んでいる私は、地方代表みたいな若者は嫌だった。私の世代で言うと、無理して買ったセダン車を乗り回して、パッサパサの金髪の前髪にでっかいピン止めをしているような男のことなんだけど。(ごくせんの時の小池徹平みたいなやつ)
私はそんな、友人の彼氏みたいな男じゃない男と出会いたかった。

上記に上げた2つはもちろんやった。毎回期待に胸を膨らませて、週末に待ち受ける予定のドラマを妄想していた。今週末は違うかもしれない、そんなことを考えながら大概はなーんてことない、だたの休日で終わった。

それでもせっせと動いていれば、ドラマみたいなことも起こるもんだ。
一度、友人に誘われて海の家のようなクラブに行くことになった。そのイベントは結構色んな人たちがいて、私より年上ばかりだった。

「何か起こる」確信したイベントで、28歳の男性に声をかけられた

私は当時20才になったばかりで、色んな国の人がいる大人のイベントにそれはもう心底ワクワクし、何か起こる確信をもっていた。
案の定、ほどなくしてハーフの28歳の男性に声をかけられた。彼は東京に住んでいて、自転車が趣味らしい。

顔が濃くて、久保田利伸みたいだなあと思ったのを覚えている。
友人は別の男性と人混みに消えてゆき、私と彼は二人きりとなった。

駆け込み1杯、テキーラをあおりながら“よっしゃー!こういうのを待ってた!これってドラマじゃない?スタートしちゃったんじゃない?”とにんまりする。
20才という若さと、持ち合わせているだけの色気を振りまき続け、だんだん彼もその気になっているようだ。

私たちはビーチに移動した。遠くから聞こえるレゲエのゆったりとしたリズムと喧騒が交じり合い、いいバックミュージックとなっている。
目の間に広がる夏の夜の海。波音の狭間で、私たちはポツリポツリと会話をした。新鮮なときめきに胸を高鳴らせながら。

そしてキスをした。もうここからは恥ずかしいからこのくらいにしておくけど、そんなこんなの中私は、“もうこれ映画じゃん!絶対に友達に自慢する”と意気込んでいたのだから笑える。

時々ドラマが起こるから、私たちはためらいなく未来に期待できる

イチャイチャしていると友人から“酒を飲みすぎて吐いている、help!”というメッセージが届き、友人を探しに行くこととなった。ちょっと待っててね、と彼には声をかけたが、思いのほか友人が泥酔していて介抱しているうちに夜が明けてしまった。そして、彼には二度と会うことは出来なかった。

連絡先を交換していなかったため、もう会う術はない。しかし最初こそ落ち込んでいたものの、いつしか自然と忘れてしまった。
彼とのストーリーは一夏の恋として友人に聞かせるのには存分に役立ってくれたが、結局のところ私にとってもただのおかざりの恋みたいなもので、ドラマチックを体験できただけで満足してしまった。

こんな風に私は時々起こるドラマを肴に、何か楽しいこと起こらないかなーと未来に恋していた。不安定で不確定だからこそ、ためらいなく未来に期待できたのだ。

あれから10年近くたった今では、当時ビール片手につまんねーなーと徘徊していた地方の夜も悪くなかったなあと思っている。
今でこそ夫とのんびりいつもと同じ休日を楽しめるようになったけど、それは何もなかった休日をいくつも超えてきたから言えることなんだろう。