幼少期の休日は、親が仕事でおばあちゃんの家に預けられていた

五月に入り、父が頻繁におばあちゃんの家に行くようになった。
父だけではなく、遠方に住む父の兄弟も。
おばあちゃんは92歳、今回の入院で10キロ以上痩せてしまったのだ。
「おばあちゃんの家に寄ってから帰ります。」
家族ラインが動いた金曜の夜。

私は東京で働いているので、関西に住むおばあちゃんとはしばらく会えていない。
心配な気持ちで一人、休日を迎えた。

幼稚園から小学校低学年の間、休日は親が仕事でおばあちゃんの家に預けられていた。
おばあちゃんの家に行く朝は、車で父とソーセージパンを食べるのがお決まり。
家に着くとお仏壇に手を合わせ、おばあちゃんの隣でテレビを見る。そのあと、洗濯を干すために二階に上がり、干し方を教えてもらいながらお手伝いをした。

おばあちゃんの人柄は多くの人をひきつけ、周りの人たちは優しかった

ピアノを弾いたりお絵描きをしていると10時になり、おばあちゃんはタクシーを呼ぶ。
市場に出かける時間だ。おばあちゃんにはお得意のドライバーさんがいて、その人にだけ「お釣りはいらんで」と言っていた。幼いながらに「太っ腹」の意味を覚えた。

市場に入るとお肉屋さん、レジ前のお好み焼き屋さん、靴屋さんと色んな人がおばあちゃんに気づいて声をかけてくる。私も名前を覚えてもらっていたし、「大きなったね」「べっぴんさんや」と可愛がってもらった。魚屋さんはいつもヤクルトをくれたし、お茶屋さんで帰りのタクシーを待ちながらお茶を頂いていた。

思い返していて、15年経っても鮮明に記憶していることに驚いた。
風に飛ばされないタオルの干し方、市場の人たちの笑顔、買って帰ったアイスを冷蔵庫に入れて溶けちゃったこと。おばあちゃんの杖をつきながら歩く姿、いつもカバンに入っていたのど飴、懐かしく色褪せることのない思い出。

そして、学生時代にスーパーのレジでお客さんと仲良くなれたのも、初対面の人とすぐに打ち解けることができるのも、おばあちゃんのおかげだと気付いた。おばあちゃんの人柄が多くの人を惹きつけ、その人たちの優しさに触れて私は育ったからだ。

おばあちゃんと過ごした休日は、私にとってかけがえのない思い出であり財産だ。

予定のない休日も、おばあちゃんがくれた特別な時間に思えた

一人で過ごす休日は、おばあちゃんとの休日を思い出させてくれた。
おばあちゃんと過ごした休日が私を形成していると思うと嬉しいし、一人の寂しさも忘れさせてくれる。予定のない今日も、おばあちゃんがくれた特別な時間に思えた。

過去と今はひと続きで、今この瞬間も時計の針は未来に向かって進んでいる。
最近の休日は友達と会う予定も延期になり、一週間の買い出しと細かいところの掃除、洗濯とぱっとしないものだと思っていた。

それでも、住んで半年になるこの街には顔見知りも増えたし、愛着が湧いてきた。散歩で通ったことのない道を選んで遠回りしてみたり、まだまだ楽しめる余地もありそうだ。一人で過ごすこの休日も、いつかは私の糧になる。おばあちゃんのおかげで気づくことができた。

大好きなおばあちゃん、これからもお元気で幸せに過ごしてね。