プゥン、と嗅いだことのないニオイが鼻をくすぐった。獣のような、汗のような、ドブのような、言葉に出来ないニオイだ。

「うわクッセ!」と思い、授業中にも関わらず、私はキョロキョロと周りを見回した。皆つまらなそうに黒板を見つめるばかりで、誰もこの異臭に気づいていないようだ。私はもう一度、机に顔を近づけて異臭の正体を探った。

コレだ。机の右側のフックに掛けてあるお弁当入れ。教室が移動となる英語の授業で、私が借りているこの席の持ち主。長沼くんのお弁当がニオイの発生源であった。

プゥンと血なまぐささを感じた時、すぐに自分の生理だと気づいたが…

この日から席替えになるまでの間、週に2回ある英語の授業は地獄と化した。机に顔を近づけると、吐き気を催すほどの異臭。死体でも詰めてあるんじゃないかと思った。

幸いにもこの異臭は、半径30cm程にしか被害を与えないらしく、周りの席の子達は無事なようだ。私は凄まじい猫背で有名だったのだが、おかげで姿勢が良くなった。少しでも異臭から顔を遠ざけたかったのだ。

ところでこの時、高校2年生。生理の時にナプキンを持ってトイレに行くことが、とても恥ずかしかった。だからある日、プゥンと血なまぐささを感じた時、すぐに自分からだと気づいた。

いつもの英語の授業、いつもと違う異臭。そういえば、朝からトイレに行っていない。2日目なのに。授業が終わるとすぐに友人が机に来て、ありきたりな会話をした後、「なんか臭くね?」と顔をしかめた。

私はドキリとして、とっさに「多分コレ。長沼の弁当」と言った。嘘はついていない。友人は長沼くんのお弁当箱のニオイを嗅ぐと、「ホントだ! クッセー!」と言って大いに騒いだ。周りの女子たちも寄ってきてニオイを嗅ぎ、お祭り騒ぎになった。私はどさくさに紛れて、鞄からナプキンの入った巾着を取り、ポケットへ詰め込んだ。

「臭い」と言って笑いものにしていた長沼のお弁当は、大事なものだった

それからだいぶ時が経って、ある蒸し暑い日の全校集会。体育館にクラス毎男女別の名前の順に並ばされた生徒達は、雑談をしながら開始の時間を待っていた。私の左隣にはたまたま長沼くんが並んでいて(中村と長沼なのでいつも近いのだ)、他の男子とおしゃべりしていた。不意にお弁当の話になり、私は聞き耳を立てることにした。

「オマエん家、いっつも弁当じゃーん! たまには学食カレー食おーよ!」と言う男子達の言葉に、長沼くんは笑いながら「オカンが毎朝作ってくれんだ。オカン、朝から晩まで仕事忙しいのに。『いらねー』って言うんだけど、『これくらいしかしてあげられないから』って。いや休んどけって感じ。でも、オカンと話す時間って家出るまでのちょっとしかないから、これでいい」と言った。

私はハッとして、長沼くんに謝りたい気持ちでいっぱいになった。そんなに大事なものだったのか! それなのに私は、みんなの笑いものにしてしまった! 考えているうちに、目の前が真っ白になってきた。

長沼くんは、生理で体調が悪くて倒れた私に肩を貸してくれた

奇しくも生理中で体調が悪かった、というのもある。体育館が異様に暑かったというのもある。とにかく私は、その場にバタリと倒れた。

周囲がオロオロする中で、長沼くんは「オレ保健室連れてくよ。女子じゃ運べないだろ」と言って肩を貸してくれた。道すがら私は半泣きで、「ごめん」と何度も謝った。

長沼くんは「イヤ別に全然いいよ、体調ヤバい?セーリ?」と茶化した。私は「ちげーよバカ」と言って脇腹をグーで殴った。恥ずかしかったのである。