初潮は、小学5年生に上がろうかという春休みだった。一人でたまたま家にいたある日、ショーツに血が付いていた。両親は共働きで、平素から不在だった。

どうしたらいいのかわからずに、母親の携帯に電話をかけた。すぐに母が出て「どうした~?」と聞いた。

私自身、これが生理だとはわかっていた。保健の授業で勉強した。でも、いざ来てみるとどうやって伝えていいのかわからなかった。正直に言うしかない。なんだか照れ臭い。一瞬のうちに少女の私の脳内に感情が駆け巡る。

「生理、来たかも」と言うと、母は「えっ! おめでとう!」と言ってくれた。

社会人になり、月々の生理痛に悩まされて、時に仕事を休むことも…

母親は何か考えたわけではなく、とっさに出た言葉だったのかもしれないが、私にとっては思わぬ反応だった。思い返せば、母のこの反応が、私にとって生理というものを形作る一つだったのだと思う。

時は流れて、20歳を過ぎて数年たった頃。社会人になって数年、私は月々の生理痛に悩まされていた。これ、「おめでとう」なんて声を掛けていい代物じゃないだろ……と毎月毒づいていた。

場合によっては仕事を休まなくてはいけないし、寝起きは血が巡っておらず、ふらふらするし、いいことは何もなかった。

男性ばかりの職場だが、私は毎月「生理なんで(帰るかもしれないし、帰らなくてもやっていけるかもしれないですが、パフォーマンスはいつもの半分以下です)、すいません」と言って歩いていた。このカッコ内に含んだ意味を、会社の男性陣は毎月丁寧に理解してくれて、「顔色が悪いから無理をしないように」とか色々言ってくれていた。非常にありがたかった。

職場の先輩が毎月「生理を理由」に休むのが許せなかったが、今は違う

私のポリシーの一つとして、“生理で仕事に穴はあけない”というものがあった。生理で稼働率が下がるのはわかっていたので、前もって作業を進めておいたりと、ある程度の予防はしていた。

だからこそ、女性の先輩の一人が、毎月一週間近く生理で休み、仕事をどんどん遅らせていくのが許せなかった。尻拭いは、生理中の私だったこともある。私だってこんなに辛いのに、何で予防も何もしないでのうのうと作業していた人の穴埋めをしなくてはいけないのだと。

でも、今の私は違う。先輩、ごめんなさい。本当に生理は人それぞれでした。

更に時は流れ、出産後、母乳を早々に切り上げた私は、産後3か月で生理が再開した。正直なところ、非常にわくわくしていた。「産後は生理軽くなるよ」と色々な人にしつこく言われていたのだ。

しかし、「生理が軽いって、どんな感覚なんだろう」とわくわくしてた私に襲ってきたのは、今まででダントツ一番の生理痛だった。陣痛を思い出す壮絶な痛みで、「話と違うじゃん! もう一人産まれる!」と夫に泣き叫んだ。本当に痛かった。

そして翌月、また生理が来る時期になって憂鬱だった。あんな陣痛みたいな痛みは二度とごめんだと思っていたが、今度は痛みも不快感も気持ち悪さもない、生理ではない日と何も変わりのない生理週間だった。

運動もできる、ご飯も普通に食べられる。そんなこと、あっていいの……? それが1年と半年ほど続いた。今では産前よりは軽いとはいえ、ある程度の痛みはある。生理痛や吐き気がなかった1年半を私は、“産後のフィーバータイム”と呼んだ。

「生理痛は人それぞれ」で、周囲にとやかく言われる必要はない

そして気付く、こんなに生理痛が軽い人っているんだと。たまに友人で、生理痛を感じたことがないという人がいる。その人って、こんな生きやすいんだ。そして、その人から見たら私なんて、「生理痛ごときで、なんで休んでいるんだろう」と思われるのかもしれないと。

先輩はもしかしたら、あの陣痛のような痛みに毎月耐えているのかもしれない。私は誰かに、昔私が先輩に抱いたような感情を抱かれているのかもしれない。そう思うと、痛みはやはりその人にしかわからないもので、周囲にとやかく言われることはないと痛感する。

痛いのは痛い、生理中の自分に優しくあれ。無理はしないで、できる範囲でやればいいよ。
 
でも、やっぱり「生理やめたい!」と言いたい。子どもができることは確かに尊いけど、私は多分、閉経するまで、これは人体の設計不良だと思って生きる。