私の生理の経験は、実際に初潮が来る前から始まってしまった。小学校5年生のある日、休み時間に友だちとお話ししていたときだ。

「ねぇ、生理始まったんでしょ?〇〇ちゃんから聞いたよ」と、友だちは何の悪びれもなく言ってきた。そのときはまだ生理は始まっておらず、生理の存在をなんとなく知ってるくらいだった。そもそも始まってたとしても友だちに言わない。少なくとも私は、恥ずかしくて言えるような性格じゃなかった。

まだ訪れていない自分の身体の変化のことを、なんで他人から聞いてるんだろう。私は「始まってないよ!なんでそんなこと言うの!」と言った。そのときの私にできた精一杯の反論だった。

味方だと思ってた先生は、私の「同意なし」にみんなの前で話した

この生理の話はウワサとなって、同級生の間にかなり広まっているようだった。私にはどうしようもできなくて、当時の担任の先生に相談した。ウワサを広めた犯人を見つけてほしいとか、そういうことを望んでいたわけではない。ただこんな風に自分がウワサされることが、嫌で仕方なかったからだ。男の先生ではあったけれど、先生なら話をしてもいい。そう思えた。

私から相談を受けた先生の行動は早かった。だが、それがさらに私を苦しめることになる。
相談をした数日後の朝に学年集会があったのだが、担任の先生はみんなの前に立つと、こう話し始めた。

「いきなりですが、みなさんの中にあるウワサを流されて悲しんでいる子がいます」と。先生はそのウワサが、生理についてであることと生理についての簡単な説明、そのウワサは事実に反していて本人から相談があっただの、説教気味に話を続けていった。

先生としては相談を受けた身として、そして教育者として、どうにかしないとと思ったのだろう。でも、それはエゴだよ、先生。私がその話をみんなにしてもいいって言った? ほとんどの子が、そのウワサは私のことだって知ってるよ。月経をまだ迎えてないってことも私の身体に関する大切なことなのに、先生はなんで言っちゃうの?

先生の話が終わるまでの間、その場から逃げ出したいのを必死にこらえていた。恥ずかしい! 何人もの視線を感じて、ギュッときつくした腕の感触を今でも覚えている。

「経血」を見るたびに、小5のあの出来事と恥ずかしさがよみがえる

あの出来事からもう何年もたっていて、同級生たちもこの件はとっくに忘れているだろう。でも、私は忘れられない。実際に初潮がきたときは、全くうれしくなかった。それどころか、また何か起きて周りのみんなに騒がれたらどうしようと不安に駆られた。

20歳を過ぎた今でも、毎月毎月やってくる生理のせいで身体と心の調子は狂うし、小5のあの出来事も恥ずかしさと一緒によみがえってくる。自分には生理なんていらない。それが私の本音である。

生理への理解を深めようとたくさんの方が声を上げ、いろいろな方法で尽力してくださっている。「生理=話題に出すのはタブー、穢れ」みたいな価値観はもう古い。

生理の話をするのは悪いことじゃないけど、私の同意を得てから話して

今になって思えば、あのときの先生の行動はそう言った意味では、正しかったのかもしれない。男女関係なく、ちゃんとお互いの身体を尊重していこうと示したかったのだろう。

ただ、そこにパーソナルな話をしてもいいかという私へのconsent(許可・同意)はなかった。フェミニズムを支持している身として、これからの時代、生理はもっと話題にされてもいいとは思う。生理自体は、恥ずかしいことでもなんでもないのだから。

それでも、昔の出来事は今でも私を苦しめていて、生理をよく思えるにはまだまだ時間がかかりそうだ。