「オトコに査定される」という初めての体験

私は、中高女子校で育った。自分のことは自分でやるのが当然で、重い荷物も女子が持つし、生徒会長も女子がやる。オープンで自主的。
モテたいとは思っているしダイエットにも興味津々だけれど、オトコから見たオンナとか、そういうのをほとんど考えたことがない、そんな人が1000人以上集まる学校にいた。

5年前の春、共学に通う大学生になって、初めてオトコから見たオンナを意識することになった。
私は、サッカー部のマネージャーになった。マネージャーへのキラキラした憧れもあったし、スポーツ観戦も好きだし、異性への興味もあった。
同期のマネージャー4人と順調に部活の日々を送っていたある日、同期のプレイヤーたちが「俺らの代、かわいい子(マネージャー)いないよね」と話していたと聞いた。
顔がかわいいとか、かわいくないとか、異性に言われたそれは、思いのほか威力が強かったらしい。時間をかけて、ばらばらと細かく心にささってきた。かわいくなくて悪かったねーと同期のマネージャーたちと言い返しながら、今にも消えてしまいたい気持ちだった。

ありがたいことにそれまで、あなたはかわいい、美人だと家族にも友人にも言われて生きてきたから、え、わたしかわいくないの?と本気でびっくりしたのもあった。
けれど、それよりも「こうしてオンナはオトコに査定されるんだ」という体験が初めてで、その感覚が強烈だった。
かわいくないと嫌われるんじゃないか。どうしよう。

オンナが可愛いとオトコのテンションが上がる、というのを肌で感じた日々

それから私は、オトコの目を気にするようになった。
私はかわいくないのかもしれない。いや、でも美人と今も言われるし、かわいいと思いたい。でももしかして、ものすんごいブスなのかもしれない。両極端な思いを日々くり返す。

いいのか悪いのか、メイクの研究をはじめた。オトコに好かれるカラダになりたくて、いろんなサイトや雑誌やInstagramを読み漁った。
カフェで始めたアルバイトでも、かわいくしておいたほうが一緒に働くオトコの人のテンションが上がるんだろうなと思って努力していた。
ぜんぜん虚しさは感じなかった。オトコに好かれたい気持ちが無意識にしみついていたのだと思う。それに、オンナが可愛いとオトコのテンションが上がる、というのを肌で感じていた。

メイクの腕は上がったし、メイクは自分の心も明るくするとわかったので、それはそれで良かった。けれど大学生の間、ろくな恋愛ができなかった。
こうやればオンナとして見るんでしょ、きみ簡単に落ちるでしょ、喜ぶんでしょ、という小手先のテクニックをたくさん知り、いろんな手を使った。それで、あーやっぱりすぐ目の色変わるのね、オトコってこんなにも簡単にオンナを好きになってくれるんだ、という経験をたくさんした。

でも、私はぜんぜん本気ではなかった。だってきっと、それをやるのは私ではなくてもいいのだ。オンナならいいんだもの。だから、こんなに簡単に好きになられてしまうのかと知って、じわじわと気持ち悪くなった。中にはちゃんと本気で好きになった人もいたけれど、そういう相手に限って、私のことを簡単に好きにはなってくれない。

オトコに求められたい自分と、それを気持ち悪いと思う自分

遅かれ早かれ、いつか異性の目を知ることになるのだとは思う。たまたま私はそれが大学生のときだった。生物学的に繁殖するためにも必要なことなのだとも思う。

でも、なんかオトコって嫌だ、気持ち悪いという思いは、社会人になった今も変わっていない。でも、私が好きになるのはオトコの人だけだし、好かれたいととても思う。かと言ってオトコに屈しているわけでもない。

ただ、オトコに求められたい自分と、それを気持ち悪いと思う自分、どちらも存在する。どうやったらふたつの思いに折り合いをつけられるのだろう。気持ち悪いとか思わずに、きちんと人間としてオトコを見られるようになるには、どうすればいいのだろう。異性の目を知ることは、愛欲に直結してしまうのだろうか。
そんな思いを隠しながら、今日も私は社会のいちオンナとして生きている。