その日は、私の都合をまるで無視してやって来る。
「うそ、今?」じっとりした感触があるから、もう分かっている。分かっては、いる。だが、この状況にうんざりしてトイレまでの足取りが重い。
どうして、女性だけ「生理」があるのだろうと思ってしまう事がある
ストレスを感じると、不定期になる場合があるといわれるが、思春期の時の私は、不定期が当たり前のようになっていた。そして、その日は期末テスト真っ最中。私はカンニングと言われるのが怖くて、テストが終了するまでトイレに行かなかった。
そこからは、得意不得意関係なく、腹痛で汗が止まらず、ペンを握るだけで精一杯だった。必死で解答欄を埋めはしたものの、当然手応えはない。その日は、憂鬱な気分で家に帰った。
学生の生理は、日頃より数倍のストレスと闘いながら授業を受けなければならない。生理中は、千切れそうな腹部を抱えて登校した。日中は常に貧血気味で、不愉快極まりない気分になる。どうして、女性だけなのだろうと思ってしまう事も多々ある。
「生理とは人体の神秘で、子どもを産むために重要な、素晴らしいものだ」と、保健体育の教科書には書かれている。実際、親や周りの大人達だって、決まって同じようなことを言う。
生理は悪いものではない。大切なものだ。「加齢と共になくなっていくから大丈夫」と、明るくそう言う。「なら、女に生まれないほうが良かったかな」そんな捻くれに捻くれた自分が、心の中で答える。
教師に「生理は子どもを産む準備をしている」と言われ、嫌悪感がした
今の時代、生理の素晴らしいという、肯定的な見方が主流となって、私の様な否定的な意見はあまり見かけなくなった様に思う。私は、高校の教師に生理についての授業で「子どもを産む準備をしている」と言われた時、軽く嫌悪感がした。
その感情は、決して他者に向けたものではない。その時の先生に対するものでもない。「私は、そんな事望んでいない」。ただそう思ってしまったのだ。
赤ちゃんが産まれる事、家庭が出来る事、そのために生理が来る事、どれも素直に素晴らしいと思う。ただ、自分にそれを置き換えた時に、不快な感情が沸いた。
生理が来るたびに「自分の権利」を侵害されたような気持ちになった
私の意思は子どもを産もうとしていないのに、身体はその準備を勝手に、着実に進めている。私は産みたくないのに、「産むのが当たり前だ」と身体に言われているような、何か、自分に自分の権利を侵害されたような、言葉にして言い表せない気持ち悪さが残って、一時期は生理が来るたびにその事を考えては鳥肌がたった。
他人に話したことは、ほぼないに等しい。生理をポジティブに捉えている人が多い中、わざわざネガティブな話をするのは気が引ける。
それに、生理だって、考えてみれば一つの権利だ。色々な事情で、産みたくても産めない人々が星の数ほどいて、私の生理に対する嫌悪感は、その人達に失礼なことなのだろうと思う。そう考えると中々周りに言うこともできず、一人で悶々とする日々。
けれど、本当は大声で言いたい。私は生理が大嫌い。腹痛も貧血も、精神が不安定になることも全て嫌。生理が来る自分の身体が嫌い。それでも、そんな自分に向き合って生きているのだと、強く言いたい。