初めて生理がきたのは中学一年生の冬だった。ベッドと壁の隙間に押し込まれた私の下着、赤く染まったそれを、母が見つけてしまったあの日。
汚れたらすぐに水洗いしないと落ちないよ、血は。母は言った。
汚れた、というのがはじまりだった。生理の血は汚いもの、隠すもの。その決めごとは母によってすんなり押し付けられ、ずっと私を窮屈にした。
責任と鈍痛。生理がくるのはうれしいことなのか
生理がきたのか、まだなのか。13歳の少女達を決定的に分けるのは「大人」に足を踏み入れたという不可逆的な身体的成長だ。
あの子、なったらしいよ。そう噂されるあの子は、あんたたちとは違うのよ、という大人びた眼差しで見返してくる。
生理がきたらうれしいのか、そうでないのか、彼女たちにはわからない。準備も覚悟もできないまま、痛みと責任をとつぜん背負わされる。なんとなく感じるのは、後戻りできないということ。
この重苦しさを一人で受け止めなければいけないのは、生理の先に出産があるということを漠然と悟ったからだ。これから幾度も痛みに耐え血を流さなければならないのは、こどもを生むという目的を果たすためなのだと。
通学カバンの中にあるナプキンを制服の袖にそっと入れる、ハンカチの間に挟んで、何食わぬ顔でトイレに行く、こっそりと隠れて。悟られてはいけない。ずっとずっと先にあるただひとつの目的のために、私たちは我慢してきたのだ。
6年付き合った彼との未来のため、私は妊娠したかった
そうしていつか、生理はもっと特別な、大きな意味をもって私たちを問い詰めてくる。私はいつかこどもを生むのか、それとも生まないのか。たぶん生まないと決めた私は、何のために血を流すのか、と。
6年付き合った彼とは、あんなに近い存在だったのに、決して結婚できないだろうとうすうす気づいていた。同じ喜びと同じ悲しみを分かち合う仲なのに、人生を分かち合うことはできなかった。
結婚してもこどもは欲しくない、と彼は言った。その気持ちはずっと変わらないだろう、とも。そう言いながら交わり、私の身体は血を流しつづける、まるで泣いているかのように。
私は妊娠したかった、そうしたら迷いはなくなると信じて。なにもかも、命の正義には抗えないんだから。
その事実が痛みをもって知らされるのは少女が大人になってからだ。妊娠するという目的が果たせなければ、その期待は血と一緒に流れてしまう。私にとって、生理は「失敗」なのだ。それでも健気に、私の身体は待ちつづける。
いつか、決断しなければ。楽しい日々が過ぎてはそれを遠ざけ、遠ざけてもそれは追いかけてくる。何かを選ぶことは、何か別のものを諦めること。大事なことはいつも痛みをともなう。
たぶん雨が降っていたあの朝、生ぬるい、つうと流れる感触で私は目が覚めた。女ならわかる、あの感じ。そっと下着をめくって、ほらねとそれを見た。この生理がきたら、彼とは終わりにすると決めていた。私の身体が、私の人生を決めたのだ。
自分の身体と付き合う方法はひとつじゃない
身体の不調はそのあと訪れた。ちょっと休ませて、とでも言うように生理が何ヵ月もこなくなったのだ。それでもいい、むしろこないほうがありがたいと思ったけれど、婦人科で治療を受けた私はやっぱり生理が戻ってほっとしたのだった。
不快で憂鬱でならないのに、ないと困るもの。女を30年も振り回すもの。
クリニックの待合室で大きなお腹を抱えた女たちが幾人も私の前を通り過ぎ、ただあてもなく排卵しつづける私には決してたどり着けないところに、彼女たちは行くんだと思った。だから「生理をお休みしようか」という医師のアドバイスはすんなり心に入ってきたし、そうするべきだと思った。
月経困難症からピルを飲みはじめた私は、いま心も身体も穏やかな日々を送っている。
生理にともなう痛みは身体のものだけじゃない。生理がくることで引き起こされる心の痛みや苦しみもある。生理をコントロールすることは身体と心を同時に管理することだ。我慢しなくてもいい痛みから解放されれば、私たちはもっとラクになれるし、毎日を楽しめる。
愛すべき自分の身体と付き合っていくこと、それは生理があっても、この先いつか生理が終わっても同じ。いまをとことん楽しむために、私たちは自分で選べるのだ。
女であることは時にしんどいけれど、でもやっぱり、私は楽しい。