マスクって邪魔。だって、キスをねだるのに、一手順増えてしまった。

いいなあ、この人、素敵だなあ。キスしてみたいな。そういう相手に出会った時、一番力を貸してくれるのは間違いなくお酒。二人で飲んで、二人とも気持ちを高揚させて、ちょっと首を傾けてみると、それで大体オッケー。そういうものだった。2年前までは。

どどん、とそびえ立つマスクという関門。キスに邪魔な敵が一つ増えた

しかし、さて、今は世界が変わってしまった。
ウイルスが蔓延しているとかなんとかで、素敵だなあ、という人と飲みに行くことからまず難しくなってしまった。そのかなりの難度を誇る関門をくぐり抜け、二人で食事に行くことに成功したとして、今までなかった関門が、どどん、とそびえ立つようになった。

それがマスク。
倫理観とか、貞操観念とか、そういうものに加えて、いいなと思う人とキスをするのに、邪魔な敵が一つ増えている。

まだ緊急事態宣言が出ていなかった春先、飲みに行った憧れの先輩は、きっちりした人だった。このご時世で、それはもうかなりラッキーなことに、二人で飲みに行くチャンスができたというのに、邪魔者がいる!それがマスク。

きっちりした人だから、お酒を一口飲むごとに、きちんとマスクを付け直す。
素晴らしい倫理観。素晴らしすぎて、倫理観も貞操観念もきちんとしていないわたしは、困り果ててしまった。一応先輩を見習って、一口お酒を飲むごとにマスクを付け直した。

邪魔だなあ。カウンター席で顔を寄せ合って、二人だけの濃度の中でのひそひそ話に成功して、それでもこの不織布一枚が、二人の間に介入してくる。

邪魔だなあ。これさえなければ、後少しばかり近づけば、触れ合う準備は二人ともできているのに。

恋の匂いがしても理性が勝ち、人目を気にしてマスクを外せないのが大人

きっちりした先輩だったけれども、お酒の力もあって、目とか、声とか、わたしに投げかけるそれらの温度が少しずつ上がっていっているのはわかった。

それでも理性が勝つのが大人。
ただでさえ付き合ってもない人とお酒を飲みに出かけるのがはばかられている世の中で、あまつさえマスクなんて外せない!ということだったんだろう。「かわいいと思ってる」とか、「いつも頑張っていて素敵だと思う」とか、ありきたりな、少しばかり恋の匂いがするようなことを言ってくれはするけれど、やっぱり理性を崩しきれないのが大人。人目を気にして、マスクを外せないのが大人。

埒があかないなあ。それもこれも、あと15センチで触れ合える距離にいるのに、邪魔してくるマスクのせい。ちょっと首を傾けてみても、それがキスの合図にならなくなっているのは、マスクのせい。

埒があかないので正面突破。ようやくゼロ距離で触れ合えた

結局終始きちんとマスク会食をして、中途半端に上昇した二人の温度を抱えながら、駅まで歩いた。そこでふと手を繋いで、ゆっくり歩いて、手のひらの熱さを感じて、あれ、これはいけちゃうかも?と気づく。家の前まで送ってくれた先輩に、カウンター席の続きを仕掛ける。どうやって?埒があかないので正面突破。

「キスしてください」

びっくりしたような瞳。その後の笑ったような瞳。ようやくマスクを外してくれた。口元も、嬉しそうに笑っていた。ああ達成感。ようやく見れたその顔。
ようやくゼロ距離で触れ合えた。

本当に、マスクって邪魔。ただこうやって意思を確かめ合うのに、一手順の増加。いつになったら、この邪魔者なしに、いいなあと思う人とカウンター席で顔を寄せ合うことができるんだろう。