私は社会人になって、メイクに新たな価値を見いだすことができた。
それはとても新鮮で、社会人になってからしか気が付くことのできなかった発見だと思う。

社会人になりメイクが面倒だと思いながらも、やめることができなかった

私が入社した会社では、幸いお互いの容姿については一切口を出さない。
けなされることも褒められることもない。最低限の身だしなみを整えれば、必要以上におしゃれする必要も美しくいる必要もない。

大学生の時は、よく友達と服装やメイクを褒め合っていた。
褒められると嬉しいけれど、それだけ友達同士がお互いの容姿を見ているということだ。次会うときもおしゃれをしていった方がいいかな……と少しだけ気を張ってしまうところもあったと思う。
しかし就職した今は、職場で褒められることがない分ある意味気が楽だし、どの程度しっかりメイクをするかも、自分のモチベーションに委ねられていることになる。

入社して1か月経つ頃にだんだん疲れがたまってきて、早起きしてしっかりメイクをするのはとても面倒だし、だんだんナチュラルメイクにしていこうかなと悩んでいた。

でも、自分が納得するまでちゃんとメイクをしないとどうしても満足できなくて、メイクを薄めることができなかった。やめてしまえば楽なのに、私にとってメイクとは何だろうと考えた。

コンプレックスを隠すため、好きな顔のパーツをより活かすため。
それももちろんあったが、率直に心に広がってきたのは「自分を大切にしたい」という思いだった。

心配症で臆病な私。リラックスできる環境作りを意識している

私がメイクをするときの気持ちは、好きな人のシャツの襟をなおしてあげたり、愛猫の体をブラッシングしてあげたりする時の感情に似ていた。いとおしいものがもっと素敵になるように、優しく時間をかけて整えること。
つまりメイクをすることは、自分が自分を可愛がってあげること。今日もキラキラアイシャドウをつけた素敵なあなたで頑張っていってらっしゃいと手を握ってあげることだった。

メイクに限らず、私は生活の中でリラックスや居心地の良さを何よりも優先していて、自分を大切にできる環境を意識して作ってきた。

でも私は少し心配性で臆病で、会社でリラックスするのはなかなか難しい。だから自分に自信がない時、初めての仕事ばかりで不安な時、そんなときでも自分は素敵で、そんな自分を大切にしている証として、メイクをして会社に行っているのだと思う。

そうやって自分を大切にすることは、いつか自分を守ってくれるんじゃないかと思う。
日々積み重ねた自己肯定感は、これからずっと自分を支えてくれるだろう。そして、自分を大切にしていることが周りに伝われば、不意にやってくる悪意をよける傘になってくれるかもしれないと思う。

私は自分が好きだから、あなたも私を適当に扱ったら許さないよということだ。
知人の高級な愛車に乗せてもらう時汚さないようにと緊張するように、綺麗にメイクをした姿を見せることで、自分を大切にしているとアピールしていれば防げるアクシデントがあるのかもしれないと漠然と考えることがある。

例えば私は強くいじられるのが苦手だから、そういうやり取りを好むタイプの人じゃないって綺麗にメイクをした自分を見てわかってもらいたい、とか。

この文章が頭に浮かんだ時点で自分でもちょっと笑ってしまう。きっとメイクだけでは、そんなところまで守ってもらえる効果はないのだろう。別にいじりづらいほどの高嶺の花にメイクで大変身するというわけでもないし。

メイクが持つ攻めと守りの要素。「自分を大切にしたい」という思い

でも、メイクをすることで生まれる丁寧な印象や心の落ち着きも含めて、やっぱり何か、自分を表現することでの魔除けのような意味合いが私のメイクという行為には存在している。

自分を大切にしたいと同時に他者から傷つけられたくないと変に身構えるせいで、こういったバリアを張るような思いをメイクにのせてしまう。
でも、可愛くなるためにメイクをしているだけと思っていても、その可愛さは誰のためになんの目的を持ってされているのか考えていくと、この攻めと守りの要素がメイクをする人の心の中には少なからず存在しているんじゃないかと思う。

なんかメイクするの疲れたなあ、とふと思った時には、自分を大切にした先にメイクがどんな役割を果たしてくれるのか考えてみてほしい。

あなたが選んだファンデーションも、アイシャドウもリップも、きっとあなたがメイクに込めた思いを背負って輝いているのだから。