大人だって泣きたい時はある。
上司に怒られた時、仕事がうまくいかなかった時、彼氏に振られた時、友達の節目に立ち会えなかった時。
いや、むしろ大人の方が泣きたい時が多いかもしれない。

小さい頃は色んな人に守られ、あの手この手で逃げることが許された

小さい頃は、敵が現れたってお父さんやお母さんが倒してくれたし、見えない何かに怯えた時も必ず手を握って守ってくれた。
中学生にもなると、揉めた相手との仲裁に友達が入ってくれたり、別れた彼氏の文句を一緒に言ってくれたり。

バイト中のミスは店長がカバーしてくれたし、テストの点が悪くても教授に掛け合えば単位をもらうことが出来た。

仮にありとあらゆる物事が、うまくいかなかったとしても、最大限に"私機嫌悪いですオーラ"を出してみたり、全力で可哀想な私を演じてみんなから守ってもらったり、もはや嫌なことから逃げちゃったり。
あの手この手で逃げることが出来た。

大人は「自己責任」のもと、しんどくてもやりきらなければいけない

ところが、一定のラインを超えた大人は、自己責任という言葉のもと頼ることもできない、かと言って逃げようもんなら人としての信用を失う。
そもそも、戦うことすら出来ないような"どうしょうもないこと"が起こっても、元気に振る舞わなければならないのだ。

心の中でため息をつこうが、文句を言おうが、泣こうが笑おうがやらなきゃいけないのだ。
どれだけ心の中で小さな私が暴れてたって、それを表情に出さず、平然とした顔してやりきらなければいけない。
それが大人ってもんだ、悲しいことに。

つらくて泣きたい時、私は全力で泣く。しんどい時は泣いちゃえば?

だから辛くて泣きたい時、私は全力で泣いてみる。
別に辛くなくても泣いてみる。
やりたくないけどやらないといけない何かに直面した時、考えるだけで気の遠くなるような作業が山ほど溜まっている時、なんとなく憂鬱な時もとりあえず泣いてみる。
例えば感動するショートムービーを見たり、例えば1番辛かった時によく聞いた音楽を聞いてみたり、手段はなんだっていい。

意図的に自分の涙を誘う。
そして悲しくなった気持ちに上乗せして、ウワーっと大袈裟に声をあげて泣いてみる。
小さい頃におもちゃを買ってもらえなくて駄々をこねたあの日のように。
お母さんに怒られて悲しかったあの日のように。

そうしてひとしきり泣くと、不思議なことに、心がスーッと晴れて元気になる。
妙なスッキリ感に心が包まれ、元気が出てくるのだ。
目の前の壁が大きい時だけではない。
なんとなくモヤモヤして心が晴れない時、後少しで終わるはずの課題が終わらない時、
ウワーっと泣くと嵐の後の晴れ間のように、明るく清々しい状態に心が生まれ変わる。

馬鹿げてると思う人こそ是非一度試してみて欲しい。
ひとつだけ気をつけて欲しいのは、"1人でこっそり泣くこと"。
人前でやってしまうと、"急に泣き出す危ない人"のレッテルを貼られかねないからね。