わたしは学校が嫌いだった。
朝礼や、授業前後の気を付け・礼、体育の授業の整列や競走。行事などで団結を求められること。
箱に入れられることが苦手なのかもしれない。
クラスを好きになれることはほとんどなかった。その代わりと言ってはなんだが、他のクラスの子と好き勝手に仲良くなるのが好きだった。
早く抜け出したいけど、いつまでもここにいたい。
モラトリアムに守られたわたしは、遅刻や欠席を繰り返す日々だった。

正しさや誠実さを通すよりも、面白くあることが重要だった中学時代

これまで小・中・高・専門・大学、と通ってきた全てが共学だった。その中でも中学時代が一番嫌いだ。嫌いな話ばかりして申し訳ない。
その頃は最も自意識過剰だったし、ほとんどのみんなもそうだったはずだ。
イジメに値することなんか山ほどあったし、自分も他人を傷つけてきた。
心の奥底にある正しさや誠実さを通すことよりも、他のみんなにとって面白くあることの方が重要だった。
そして男と女を強く意識するようになったのがこの頃だ。
「モテる・モテない」論争の中に手薄な装備品で放り込まれた。
わたしの継ぎ接ぎだらけの記憶では、クラスで人気だった男の子に好かれた影響で、女の子たちからの反感を買った。
中学時代に関してはほとんどの記憶を抹消しているので、この事実も定かではない。それでも、わたしの今後の集団生活に対する態度や意識を変えるには十分な出来事だった。

高校は女らしく見られる部分を排除し、それが個性かのように見せた

高校に進学してからは、出来るだけ女らしく見られる部分を排除した。
禁止されていたヘアカラーに反抗し、最後の最後まで髪色を抜き続けた。
意味不明な校則への反発の意味もあったが、女でも男でもない“自分のためだけの自分”を主張したかったのだとも思う。
男女関係なく友達になったし、下ネタや見た目を揶揄するようなネタも、仲間内での面白くて少々の過激さを含むものにはためらわず手を出した。
そうすることで、女性としての性の部分を男性に消費されることを拒んだのだと思う。
そのおかげかは分からないが、中学時代のように人気の男の子から好かれることもなく、何とか高校生活を終えたのだ。
当時はとにかく楽しかったのだが、今思うと手放しでそうは言えない。
わたしが「男女関係なく」と、意識してやってきたことは、むしろゴリゴリの男女差別、男尊女卑だった。
性や外見に関するネタは意図せず男性に迎合していたし、自分の力で強くなったような錯覚に陥っていたのだ。女性の性を隠して、男性の性を上辺で塗りたくって、あたかも自分の個性かのように見せていただけだ。
その当時言っていたことや、やっていたことは、今思うと有り得ないことばかりだ。
卒業した頃は高校生活に戻りたかったが、もう戻りたいとは思えない。そんな自分に戻るのが怖い。

大切にしたいものが明確な今、正しいと思うことを曲げずに示せる

今のわたしは、大切にしたいものが明確だ。
自分が身につけた知識を持って、正しいと感じることを曲げずに示すことができる。
進む方向が分かっているのはとても気持ち良い。
しかしここに辿り着くまでに、色んな人を傷つけてしまった。その事実を変えることはできないけれど、女子校に通っていたら?と想像することがある。
わたしには、なぜもっと女の子たちを大切にできなかったのか、という後悔があるのだ。
自分を守るために使っていた強さを、周りの人を守るために使えば良かったと思う。
こんな風に学生時代に苦い記憶を強く残している人は少ないのかもしれない。
確かに楽しかったことも事実なのだから、苦い記憶で蓋をしてしまわないで、楽しい記憶を少しずつ取り戻せたら良いと思う。
しかしこうして、自分の過去を省みることができるわたしで良かったとも思う。そしてその度に、傷ついている人を守って勇気付けられる自分でありたい、と強く思うのだ。